「ライズ・アップ・ジャパン」初めてのライブ講座として、2月3日午後、東京・有明で「憲法9条の大嘘~マッカーサー・ノートと戦後日本の闇」と題して話をしました。御来場くださった、またネットで御視聴くださった皆さん、有難うございました。

講座の表題は、おどろおどろしいものですが、まさに現行憲法の制定過程は異様なものと言わざるを得ないのです。

2016(平成28)年8月、当時の米バイデン副大統領が、共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏(現大統領)を批判する文脈の中で「(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか。学校で習わなかったのか」と発言し、波紋が広がりました。

「日本国憲法は米国がつくった」という米政府要人の認識の披瀝は以前にもあり、1999(平成11)年11月、当時のブッシュ大統領も「われわれは、日本を打ち負かした国である。そして食料を配給し、憲法を書き、労働組合を奨励し、女性に参政権を与えた」と述べたように、彼らにすれば当然の認識なのです。

これに対し我が国の政治家はどんな反応を示したか。たとえば、民進党の岡田克也代表(当時)は、会見で現行憲法の草案をGHQがつくったことを認めながらも、概略「最終的には、国会でも議論してつくった」のだから、「草案を書いたかどうかというよりは、それが日本国憲法になったプロセス、その後70年間、国民が育んできた事実の方がずっと重要なことだ」と述べました。

「国民が育んできた」とは…。この岡田氏の意識は、まさにGHQが企図した日本人の思想改造が完成した姿ではないかと思います。

一方、安倍晋三首相は、平成16(2004)年2月の産経新聞のインタビューに「できたものが良ければいいという人もいるが、国の基本法の制定過程にはこだわらざるを得ない」と答え、著書でも「連合軍の最初の意図は、日本が2度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった」(『美しい国へ』文春新書)と指摘しました。

私は、安倍氏の姿勢が〝日本の政治家としてあるべき姿〟だと考えます(現在、安倍首相が提起している憲法9条改正案の中身については本稿では措きます)。

「平成最後の憲法記念日」だった昨年5月3日、朝日新聞は「安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか」と題する社説を掲げました。

朝日は、〈「安倍1強政治」のうみとでもいうべき不祥事が、次々と明らかに〉なり、〈憲法の定める国の統治の原理がないがしろにされる事態〉で〈まっとうな改憲論議ができる環境〉になく、〈安倍政権が憲法改正を進める土台は崩れた〉と主張しました。

朝日は、安倍首相に対し、〈透けて見えるのは、現憲法は占領期に米国に押し付けられたとの歴史観だ。人権、自由、平等といった人類の普遍的価値や民主主義を深化させるのではなく、「とにかく変えたい」という個人的な願望に他ならない〉というのですが、〈現憲法は占領期に米国に押し付けられた〉というのは安倍氏個人の歴史観ではなく「事実」です。

朝日は、民主主義を支える公文書が改竄される安倍政権下で9条改憲論議が進むことは危険でけしからん、というような論陣を張るのですが、私が怪訝に思うのは、朝日に限らず現行憲法を守れと主張する人々の多くが、先の岡田氏の発言にみるごとく現行憲法の成立過程をほとんど問題視しないことです。

さて、ライブ講座に御参加、御視聴くださった方には重複する部分がありますが、被占領時代の詳細で丹念な研究によって「戦後の言語空間」の歪みを明らかにした故江藤淳の『一九四六年憲法―その拘束 その他』(文春文庫、平成7年)に拠って、現行憲法の成立に関わるいくつかの話を手短に御紹介します。

連合国軍最高司令官のマッカーサーが、総司令部民政局に指令を発して、日本政府を「指導」するために独自の憲法草案の起草を命じたのは昭和21年(1946)2月3日のことです。

前年11月、マッカーサーは、東久邇宮に代わって内閣を組織した幣原喜重郎に「ポツダム宣言の実現に当りては日本国民が数世紀に亘り隷属せしめられたる伝統的社会秩序は是正せらるるを要す。右は疑いもなく憲法の自由主義化を包含すべし」との意向を伝えていました。

日本政府を「指導」する主眼として示されたマッカーサー・ノートのなかに次の一文があります。

〈国家主権の発動として戦争は、廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。

 日本が陸海空軍を維持する権能は、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。〉

実際に民政局の憲法起草委員会の作業を経て示されたのは、〈国家主権の発動としての戦争は廃止される。他国との紛争解決の手段としての武力による威嚇または武力行使は、永久に放棄する。陸、海、空軍その他の戦力を維持することは許されず、国家の交戦権が認められることもない。〉

というもので、マッカーサー・ノートに示されていた〈自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する〉というくだりは削除されました。

江藤氏は、マッカーサー・ノートのくだりについて〈注目すべきことは、「自衛権」と「交戦権」の否定が、なによりもまず国家主権に対する決定的な制限として想定されていることであろう。〝戦争放棄条項〟を〝非武装条項〟、あるいは〝平和条項〟と解釈するのは実は問題のすり替えであって、それは正確には〝主権制限条項〟と理解されなければならない〉と指摘しています。

そして、それが民政局の憲法起草委員会の段階で削除されたことは、〈起草者たちはおそらく、マッカーサー・ノートに示された「自衛権」の否定が、ほとんど国家主権そのものの否定を意味しかねないことに気がついて〉のことであろうと。

江藤氏はさらに、昭和21(1946)2月13日、民政局長ホイットニー准将と随行のケイディス陸軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐が、外務大臣官邸において吉田茂外相、松本烝治憲法担当国務相、白洲次郎外相秘書官、長谷川元吉翻訳官と会談した模様を記しています。

ケイディス、ラウエル、ハッシーによる会談記録があり、『日本国憲法制定の過程・Ⅰ原文と翻訳』(有斐閣、昭和47年)に収録され、翻訳者は高柳賢三、大友一郎、田中英夫の三氏です。

江藤氏は〈私は意図的に敢えてその翻訳を採らなかった。その理由は、おそらくあの現行憲法に対する〝タブー〟が暗々裡に作用しているために、ことさらに婉曲かつ不正確な翻訳がおこなわれているように思われてならなかったから〉で、翻訳が、〈現行憲法は「押しつけられた」ものではないとする故高柳博士の持論に適合するように文脈を曲げて作成されている、という印象を拭いがたかったからにほかならない〉と述べています。

会談の雰囲気はどのようなものであったか。

ホイットニー准将は吉田外相らに憲法草案を渡した後、〈「一時退席し、文書を自由に検討し、討論する機会を与えたい」〉として、〈ポーチを去り日光を浴びた庭に出た。そのとき米軍機が一機、家の上空をかすめて飛び去った。十五分ほどたってから、白洲氏がやって来た。そのときホイットニー将軍が静かな口調で白洲氏に語った。「われわれは戸外に出て、原子力エネルギーの暖を取っているところです」〉

これは江藤氏の訳文で、高柳氏らの訳文との比較は『一九四六年憲法―その拘束』で確認できます。「原子力エネルギーの暖」とは何のことか。日本は米国に原爆を投下されました。多言を要さなくても察しのつく方は多いでしょう。

日本国憲法は米国から「脅迫的言辞」をもって押し付けられたのであり、「人権、自由、平等といった人類の普遍的価値」はその時点ですでに蹂躙されています。こうした事実の発掘は多々なされているにもかかわらず、これを問題視せぬまま「憲法を守れ」という声だけが喧しいのはなぜでしょうか。

朝日新聞をはじめ大手メディアの安倍批判には、〈現行憲法に対する〝タブー〟が暗々裡に作用〉し続けていると言わざるを得ません。

日本国憲法第二十一条の二項にはこうあります。

「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

しかしながら、憲法の成立過程そのものが占領軍による統制と検閲下にありました。諸々の矛盾を抱えたままま、「主権制限条項」を「平和条項」などと誤魔化して過ごしてきた戦後七十余年――。

安倍政権の批判それ自体は大いにすればいいのです。消費税や移民政策、安全保障や拉致問題など具体的に論ずべき問題はいくらもあります。なぜ野党と多数の大手メディアはそれをせずに、〈「安倍1強政治」のうみ〉などというものに国民の関心を引きつけようとするのか。国民は本当に自由にモノを考えているか。

2月3日にこの講座を企画した意図をお汲み取りいただけたかと思います。さらには、今日「憲法記念日」とされる5月3日に東京裁判の審理が開始されたことを想起して、江藤淳の次の言葉を皆さんと共有できればと思います。

〈憲法が「一切の批判」を拒む〝タブー〟として存続して来たのは、決して日本人の良心がそう命じたからではなくて巧妙な占領政策の帰結にすぎず、おそらくは同胞の中の善意の熱心家が、知らず知らずのうちに検閲官の役割を買って出、異端邪説を禁圧して来たからだという事実を指摘するのみである。

しかし、憲法自体が禁圧として作用しているような状況の下で、「表現の自由」や「学問の自由」が成立しがたいことはいうまでもない。私はやはり、日本人に自由になってほしい。少くとも、必要なことが平和の維持、つまり自らの「安全と存続」であって、「憲法の護持」ではないことを公言できる程度には、自由になってほしいのである。〉(「憲法と禁圧」前掲書所収)

【上島嘉郎からのお知らせ】

●北朝鮮による日本人拉致問題を啓発する舞台劇「めぐみへの誓い―奪還」を大阪府豊中市で公演します。

(平成31年2月20日、豊中市立文化芸術センター)

*入場無料ですが、事前に申込必要が必要です(下記URL)。

当日は私も企画者の一人として会場にいます。

●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい

『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)

http://www.amazon.co.jp/dp/484706092X

●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考する

『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)

http://www.amazon.co.jp/dp/4569827268

●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。

・平成31年1月18日〈米国は新ココムを発動している/今こそ西郷精神に触れよう/日立が英原発計画を凍結~日本のエネルギーはどうなってしまうのか?〉

・平成31年2月1日〈スクープ!景気拡大「いざなぎ超え」の真実 /私たちには「加害」の歴史しかないのか/断ち切るべき「国際協調」という幻想〉