ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、両国の代表団による交渉が続いています。ウクライナのゼレンスキー大統領は北大西洋条約機構(NATO)加盟を断念する「中立化」の用意があると表明しました。

ただ、ロシアとの合意には第三国による保証が不可欠で、国民投票を行う必要もあると述べ、さらにゼレンスキー氏に代わる(親露)政権樹立を意味する「非ナチス化」や非軍事化については拒否する姿勢を崩していません。

プーチン大統領がゼレンスキー氏が提示した妥協案を受け入れるのか、本稿執筆時では判然としません。プーチン氏は当初、圧倒的な軍事力を以て短期間で首都キエフを制圧し、ゼレンスキー政権を瓦解させ、同国の東部だけでなくウクライナを事実上ロシアの制御下に置くことを目論んだわけですが、今後停戦にウクライナ側からの条件がつけられるとすれば、それはウクライナがプーチン氏の目的を阻止し、主権国家として踏みとどまったことを意味します。

ロシアの攻撃に対しウクライナ軍が抵抗を続けることで一般市民に犠牲が生じ、それが拡大にするにつれ、我が国のマスメディアに発言の場を占める人々から、「抵抗は無駄」「ロシアと戦うより妥協を」といったウクライナへの〝降伏〟勧告が唱えられています。

発言を拾ってみましょう。

〈どこかでウクライナが退く以外に市民の死者が増えていくのは止められない〉(玉川徹氏、テレ朝系「モーニングショー」3月4日放送)

〈ウクライナ戦争が始まったとき、この日本ですら戦え!一色になった。それは戦闘員の視点。しかし国家の大部分は非戦闘員。戦争指導はとかく戦闘員の視点になりがちで今回の日本の風潮もそうだったが、戦争指導は非戦闘員の視点も超重要。それが戦う一択ではないという意味。日本でもそうなりつつある〉(橋下徹氏、3月14日のTwitter)

〈戦術核の利用もあり得るという前提で、もう政治的妥協の局面だと思います。〉(橋下徹氏、フジテレビ系「めざまし8」3月21日放送)

また、ウクライナはこの戦争に負けると断言した上で、勝ち目のない戦いを続けるとウクライナの市民はプーチンによって「無駄死」させられると主張したのがテリー伊藤氏です(ニッポン放送「垣花正 あなたとハッピー」3月14日放送)。

さて、私たちがまず認識しておくべきことは、ロシアのウクライナ侵略は、明白な国際法違反だということです。

「ウクライナはもともと旧ソ連の版図であり、緩衝地帯である。したがってNATOに接近したウクライナに問題がある」といったロシア側の危機意識を汲むべきだという意見も見られますが、主権国家であるウクライナには独自の外交政策をとる自由が認められるべきで、そのためにウクライナはロシアに「抵抗」し、「戦う」ことを選択したのです。

橋下氏やテリー伊藤氏らは、「市民の命が何より大事」だと考えて発言しているのでしょう。しかし、ウクライナが国家としての抵抗を止めたとして、その後「市民の命」をロシアがどの程度保証するかはわかりません。逆に敗者は蹂躙しても構わない、となるかも知れません。

戦後日本の少なからざる人々は、未だに、戦うことそのものを悪の領域に入れ、無抵抗、非武装に徹すれば、どこからも侵されることはないと信じ込んでいる。日本国憲法前文に掲げられた〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〉結果の思考停止です。

橋下氏は、〈多くの者が勘違いしたのは、安全保障の枠組みがなかった時代の旧ソ連の蛮行などを引っ張り出して、ウクライナは戦うしかない!!の一択。今は安全保障の枠組みがある。それを最大限に活用するのが政治の知恵。再度のロシアの侵攻を止めるにも結局ヨーロッパの安全保障の枠組みが必要。戦う一択ではない〉(3月17日のTwitter)とも述べていますが、〈安全保障の枠組みがなかった時代の旧ソ連の蛮行〉とは何を指しているのか。

我が国にとっての「旧ソ連の蛮行」は、大東亜戦争末期、有効だった日ソ中立条約を破って侵攻してきたこと、ポツダム宣言受諾後も戦闘を停止せず軍人のみならず一般市民を殺傷し続けたこと、シベリアに多くの日本人を連行し、過酷な環境下で死に至らしめたこと等などがあります。橋本氏の発言は法律家とは思えないもので、中立条約は安全保障の枠組みの中には入らないのか。

さらに指摘しなければならないのは、〈ウクライナは戦うしかない!!の一択〉とは誰が云っているのか。〈この日本ですら戦え!一色〉とは、本当に我が国はそんな状態になっているか。

ウクライナは国家として戦う決意をし、日本政府はそれを支援することにした。日本国民の多くがそれを支持しているけれども、橋下氏が括ってみせたような激越な「一択」も、単純な「一色」もない。

ジョージア(旧称グルジア)出身の慶応義塾大学SFC研究所上席所員ダヴィド・ゴギナシュヴィリ氏がこう語っています。ジョージアは2008年、領土の一部の南オセチア自治州をロシアに侵略されました。

〈「ウクライナがロシアよりも先に手を挙げて“はい、戦争止めます”と言ったって、それで平和が得られるわけではないと思います」

理由は明白だ。

「南オセチアで何が起きたか見てください。我々は国際社会の仲介で、ロシアと停戦合意をしました。合意案には、ロシア軍の撤退が明記されていたのに、あの国は約束を破り、そのまま居座ってしまったのです」

結果は案の定だった。

「南オセチアは非常に悲惨な状況に置かれています。統治が行き届いておらず、街のいたるところで麻薬が売買され、誘拐も頻発している。毎日のように人権が蹂躙されているのです。平和とはほど遠い状況です」〉(『週刊新潮』 2022年3月31日号)

戦いを放棄しさえすれば犠牲は極小化されるのか――。

ここで本質的なことを考えるならば、私は、東京裁判で弁護団副団長を務めた清瀬一郎がこう語ったのを思い出します。

〈トルーマンにしろ、スチムソンにしろ、ないしはグルーにしろ、当時は戦争末期であって、日本を憎む気持はいっぱいであったにちがいない。従って天皇ご一家に同情してこの行為(ポツダム宣言が日本の国体護持を認めたこと=引用者注)に出たものではなく、日本人の性格、ことに南方戦線または沖縄戦線において日本軍の抵抗がいかにも強烈で、日本本土作戦を実行すれば、どんなことが起こるかもわからぬとの心配から、国内の世論を心配しつつ、徹底的な無条件降伏、天皇排斥をなすことを得なかったのである。

そう考えてみると、今次戦争における戦没英霊は、わが国家の全滅を救い、不満足ではあるがポツダム宣言による条件降伏と、天皇制護持の結果を得せしめてくれたものと考えてしかるべきものであろう。真に、二百万英霊に感謝する。〉(『秘録東京裁判』)

私は、この清瀬の指摘を正しいと思います。戦場に斃れた同胞はけっして無駄死、犬死ではない。戦後の日本の価値観がそれを認めなくとも、世界的に見た場合には、いざという時には何らかの形で祖国防衛に尽力するという考えは常識です。(この項つづく)

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