先日、不定期で配信している「深層探究」で此度のコロナウイルスとワクチンについて「正しく怖がるために」と題して収録をしました。「正しく怖がる」とは、夏目漱石の弟子にして物理学者の寺田寅彦の言葉です。
東日本大震災のとき、福島第一原子力発電所の事故に伴う放射線の人体への影響、千葉県沿岸部で発生したコンビナート火災で有害物質が大量飛散した等々の流言蜚語(りゅうげんひご)の類が私たちを惑わしました。地震と津波による直接的な被害だけでなく、その影響は今日も関係する人々や経済活動に「風評」被害をもたらしています。
平成26年(2014年)の春頃でしたか、人気漫画『美味しんぼ』が「福島の真実」を連載し、福島第一原発を取材した主人公が鼻血を流し、登場人物が「放射線に汚された福島に人は住めない」と述べる場面が風評被害を招きかねないとして社会問題化したことを御記憶の方も少なくないでしょう。
たしかに当時、重大な原発事故に遭遇し、その時の体調不良を被曝に結びつけて不安に感じる人が多かっただろう事情は理解できますが、福島県内の放射線量は鼻血が出るような急性症状を引き起こすにはまったく及ばないというのが、医学と放射線の専門家の結論でした。
そうした科学的知見に耳を傾けず、『美味しんぼ』に対し「よくぞ書いてくれた」と熱烈に支持し続ける意見もネット上ではかなり見られました。当時の政府の事故対応への不信感、原子力発電にそもそも批判的な人たちからすれば当然の反応と云えますが、放射線量と人体への影響に関する科学的な知見は政治的に作り出されたものではありません。実際に放射線を医療に用いてきた現場での臨床と研究の積み重ねによるものです。
ちなみに、これまでも「ライズ・アップ・ジャパン」本編で取り上げたことがありますが、放射線については、中川恵一・東大病院放射線科特任教授の『放射線のひみつ』(朝日出版社、平成23年刊)の御一読をお勧めします。難解な専門書ではありません。何冊も類書を読んでみましたが、「正しく理解する」ための手引として明瞭簡潔に書かれた好著です。
此度のコロナウイルスとワクチンに関しても、情報の流布と人心の有り様は同じような構図が見られます。現在私たちに必要な姿勢は、まず「わかっている」ことを共有し、極端な情報に流されず、過剰な不安心理に陥らないことだと思います。
新型コロナウイルスは変異を繰り返し、対応するワクチンは新しい技術が用いられています。しかも製薬会社が臨床試験や検証にかけた時間は従来に比べて短く、事態に対して「緊急承認」されたものです。実感として、ウイルスは怖いけれど、ワクチンも不安だというのは十分理解出来ます。
「ライズ・アップ・ジャパン」本編でお話しましたが、私はファイザーのmRNAワクチンを3回接種しました。関係する文献やメディアの情報に随分当たり、考えた上で決めました。寺田寅彦の言葉に添えば、私なりに正しく怖がった結論です。
私が皆さんに示すべく努めたのは、なるべく広く当たって得た知見や情報のうち、極端なもの、煽情的なものは斥け、考慮するに足ると判断したものです。その過程で、「わからないこと」はわからないと、また、わからないが故に未来に生じるかも知れない危険(ワクチン接種後の副反応、死亡例など)についても述べました。
では、わからないのに、なぜ決められるのかと問われれば、「基本的に人間の集合知を信じる」ということと、現世に「絶対安全」も「絶対安心」もないということです。
人生において死と生は常に隣り合わせにあって、戦争や大規模な災害が起きると人々には死の強烈さが刻みつけられるけれど、日常の中にも死は普通に訪れます。人は互いに笑ったり泣いたり、怒ったり許したりしながら、悲しみとおかしさの間を揺れ動きながら生き、死んでいく。その揺らぎの連続だけがたしかなことで、生と死は人間が願うほど劃然(かくぜん)とはしていない。
『この世の偽善』(PHP研究所)という本を作った時、曽野綾子さんにこんな話を伺ったことを思い出します。曽野さんは昭和6年(1931)生まれです。
〈私と私の世代は、この世に安全があるなどと信じたことがなく育ったと言えるでしょう。私は高等女学校に入学して間もなく、現在でいう小学校高学年から中学生で大東亜戦争を経験しました。一晩で約十万人が焼死した昭和二十(一九四五)年三月十日の東京大空襲には、今も住む大田区で遭っています。我が家から三百メートルくらい離れた所にあったパン屋が爆弾の直撃を受けて一家九人が全滅即死です。明日の朝まで生きていられないかもしれないと思っただけで、私は気が小さかったんでしょう、爆弾恐怖症にかかって一週間ほど口がきけなくなりました。
死というもの、殺されるということはどういうことなのか。戦争では五十センチ左に立っていた人が撃たれて殺され、五十センチ右に立っていた人が生き延びる。そこに理由はない。ほんのわずかな差が生死を分ける。自分ではどうにも動かせない運不運があるのだということ、安全、安心など誰も保証できないということを知れば人間はおのずと謙虚になります。〉
問われていることを突き詰めれば、人生観、死生観となる――。
我が国ではワクチン接種は任意です。接種するもしないも自分で決められます。私は、私の結論を皆さんに押し付ける気はありませんが、少なくとも「ワクチンは殺人兵器」だとか、「ワクチン接種後に自衛隊員400人が死んでいる」等々の流説に惑わされることのないように願います。
【上島嘉郎からのお知らせ】
●『日本経済は誰のものなのか?―戦後日本が抱え続ける病理』(扶桑社)
日本を衰微させる「病根」を解き明かし、いかに再起してゆくかの道筋を「経世済民」の視点から考えた田村秀男さん(産経新聞社特別記者)との共著。
●『「優位戦思考」で検証する大東亜戦争、日本の勝機』(ワニブックスPLUS新書)
大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考した日下公人先生との共著。
*平成27年(2015)にPHP研究所から発行された『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』に加筆、再刊しました。
●『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)
慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい。