「ライズ・アップ・ジャパン」2月号は、沖縄の米軍基地問題について話をしましたが、毎度のことながら、内容がとっ散らかってしまいました。申し訳ありません。

そもそも在日米軍基地は沖縄にだけあるのではありません。問題の本質は、日本国家の安全保障に関わることで、その視点なにし沖縄の「地域問題」として捉えるのは間違っています。

全国紙や地上波のテレビがこの問題をどう報じているかというと、多くが「基地のほとんどが沖縄に集中している。過重な基地負担を強いられている沖縄が可哀想だ。それを軽減しないのは本土の沖縄差別である」といった、ことさら沖縄と本土を離反させるような感情論に与したものと言わざるを得ません。現在、その象徴となっているのが沖縄本島中部にある普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題です。

普天間基地は先の大戦の終戦時の昭和20(1945)年に完成しました。

「世界一危険な基地」の〝証拠〟としてよくニュースで取り上げられる普天間第二小学校は、基地完成から24年後の昭和44(1969)年に宜野湾市が軍事飛行場に隣接することを承知で建てたものです。

同基地所属の米軍飛行士こそ怪訝に思ったでしょう。着陸時には校庭で遊ぶ子供たちの姿が見えるほどの近さです。

危険だと考えるならば、そして宜野湾市が決定すれば、学校は移転できます。政府もその援助を惜しまないでしょう。ではなぜ移転しないのか。子供たちの安全よりも「反基地」という政治目的を優先させる「正義の運動」を掲げる人たちがいるからです。「被害者・弱者」の正義を押し出し、「加害者・強者」の日本政府を屈服させることを目的として運動する人たちが沖縄で「政治的な力」を持っています。沖縄県内のメディアもその声に迎合し、増幅させます。

普天間基地の辺野古移設問題は複雑な経緯をたどってきました。

平成7(1995)年9月、米海兵隊員による少女暴行事件が起きました。日米地位協定の制約で容疑者の身柄が起訴前に引き渡されず、県民の怒りが爆発しました。当時の知事は〝革新系〟の大田昌秀氏で、事件後、米軍基地使用を担保する手続きを拒否しました。

たしかに、このときの沖縄県民の怒りは十分に理解できるものです。日米両政府は、それを鎮めるには単なる米軍人の綱紀粛正では足りず、将来的な基地の整理・縮小が必要だとの共通認識を持つようになり、同年11月、協議機関として沖縄特別行動委員会(SACO)が設けられました。

翌8(1996)年2月、同年1月に首相に就任したばかりの橋本龍太郎氏は、初の日米首脳会談でクリントン大統領に普天間飛行場の返還を切り出し、これが今日の移設問題の起点になりました。

当初、SACOの検討課題に普天間返還が上がっていたわけではありません。日本側も、米海兵隊にとって普天間飛行場は重要拠点で譲歩の余地は少ないと考えていました。

このとき、台湾総統選挙をめぐって李登輝氏の当選阻止と台湾の独立路線に圧力を加えるため中国が台湾海峡周辺に演習と称してミサイルを発射する〝暴挙〟に出ました。この状況に米政府は二つの空母打撃群を派遣して中国を牽制しましたが、北朝鮮の核開発に伴う朝鮮半島危機に台湾海峡危機が重なったことで、米政府は日米同盟の強化と、在日米軍基地の安定運用の重要性を再認識しました。沖縄県民の理解は不可欠、となったのです。

結果的に日米間で協議を重ね、同年4月、橋本首相とモンデール駐日大使との間で、5~7年以内に普天間飛行場を返還することで合意しましたが、普天間飛行場の機能を県内に移すことが返還条件となりました。

名護市辺野古沖を埋め立てて代替施設を建設する計画が決まったのは平成14(2002)年7月です。そして16(2004)年4月、政府が移設に向けて環境影響評価(アセスメント)の手続きを始めた直後に普天間飛行場に近い沖縄国際大学に同飛行場所属のヘリコプターが墜落する事故が起きました。平成7年の少女暴行事件のときと同じように沖縄県民の反基地感情に火がつき、アセスメントの一環で着手した辺野古の海上調査が移設反対派の妨害で中止に追い込まれ、その後も混乱が続きました。

平成7年の「起点」から今日まで、総理大臣は橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、安倍晋三とのべ11人、その間の沖縄県知事も大田昌秀、稲嶺惠一、仲井真弘多、翁長雄志、玉城デニーと5人を数えます。この間、日本国家の根幹に関わる問題として、首相と沖縄県知事が胸襟を開いて語り合ったといえる機会は一度もなかったでしょう。両者とも、戦後日本が抱える欺瞞を直視し、それを改めようという意思に欠けるからです。

約めて言えば、日本政府は「お金を落とせば沖縄はおさまる」と考え、沖縄は「基地反対を言っていれば膨大な振興費がもらえる」状態を維持することで、お互いが「国を守る」という根本課題に向き合うことなく、国防を他国に委ねるという戦後体制を追認してきたことになります。

現実の普天間飛行場の移設問題は、紆余曲折を経て、平成18(2006)年に代替施設を名護市辺野古に建設する案が日米政府間で最終的に合意されました。それが平成21(2009)年9月に首相に就任した民主党の鳩山由紀夫氏が、同年7月に遊説先の沖縄で、腹案もないまま「最低でも県外(移設)」と発言したことで再び紛糾しました。「辺野古移設」で決まりと思っていた沖縄県民が、首相たる鳩山氏の発言に期待を寄せたのは、むべなるかなです。

その後、政権は民主党から自民党に戻り、安倍首相と仲井真知事との間で沖縄振興への一層の協力などを担保に、辺野古移設が進められることになりました。ところが、平成25(20013)年暮れ、仲井真知事が移設のための埋め立てを承認すると、もともとは知事と同じく沖縄政界の保守派の大物だった翁長雄志那覇市長が、辺野古移設反対の立場で革新派をも糾合し、仲井真知事への対決姿勢を鮮明にして、翌年(平成26年)の知事選を争って勝利しました。現在の玉城デニー知事はこの翁長路線を引き継いで政府と対峙しています。

こうした概略をたどっても、一体何が問題なのかは具体的に見えてきません。現行憲法と日米安保条約がコインの裏表のように貼り合わせになっている構造を直視しない限り、なぜ米軍基地が日本に置かれているのかは理解できません。「米軍基地は要らない」というのなら、独自に国防力を高めることが不可欠で、自衛権の行使を自明とする主権回復が憲法上においてもなされねばなりません。

さらに、「沖縄の基地負担を軽減せよ」と主張する場合、それは米軍基地を減らすことであっても、我が国の安全保障上必要な軍事力は「自衛隊を以て担保する」ことを認めなければなりません。残念ながら、国際政治の現実と地政学からすれば沖縄を軍事的な空白地域にはできないのです(なぜかについては改めて書きます)。その意味では、沖縄県民には辛いことですが、〝宿命の島〟とも言えます。負担を本土が少しでも分かち合うことは不可欠ですが、「基地がなくなれば沖縄は楽園になる」という考えは現実を踏まえていません。基地があるから「国防上」「経済上」救われている部分のあることを冷静に認める必要があります。

とにかく、「反基地」運動の実態、「反基地」を県民の総意であるごとく訴える県内メディア、それによって本土から投下される振興費に群がる(諸々合わせると、復帰後これまでに10~11兆円になります)、あるいはそれを分け合う沖縄県の公務員(労組)と建設・土建業者、「金門クラブ」と呼ばれる米国留学組や琉球大学OBなど既得権益層の存在など、沖縄社会の歴史的な構造を腑分けした上で、いったい何が日本国とその一部たる沖縄県民のためになるのか、という議論が必要です。にもかかわらず、それに資するタブーなき言論空間が本土にも沖縄にもないことが問題です。「正義」を掲げる運動論がそれを封じ、利権構造と一体になっているからです。

これからも「ライズ・アップ・ジャパン」では、沖縄の米軍基地問題を折りに触れ論じていきたいと思います。また、番組中にいわゆる「横田空域」について話をしましたが、本土にある米軍基地の問題、つまるところ現行憲法と日米安保の関係についても、その欺瞞を明らかにし、それゆえの幻想を打ち破らねばと思っています。

以下既出の論考ですが、御一読いただければ幸いです。

●「沖縄県民斯ク戦ヘリ」

●「基地反対のためなら違法性は阻却されるのか」

【上島嘉郎からのお知らせ】

●北朝鮮による日本人拉致問題を啓発する舞台劇「めぐみへの誓い―奪還」を大阪府豊中市で公演します。

(平成31年2月20日、豊中市立文化芸術センター)

*入場無料ですが、事前に申込必要が必要です(下記URL)。

当日は私も企画者の一人として会場にいます。

●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい

『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)

http://www.amazon.co.jp/dp/484706092X

●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考する

『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)

http://www.amazon.co.jp/dp/4569827268

●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。

・平成31年1月18日〈米国は新ココムを発動している/今こそ西郷精神に触れよう/日立が英原発計画を凍結~日本のエネルギーはどうなってしまうのか?〉

・平成31年2月1日〈スクープ!景気拡大「いざなぎ超え」の真実 /私たちには「加害」の歴史しかないのか/断ち切るべき「国際協調」という幻想〉