発売中の『Voice』4月号(PHP研究所)に拙稿が掲載されました。タイトルは「至烈ノ闘魂、至高ノ錬度―戦艦大和ノ最期」で、昭和27(1952)年8月、〈占領下七年を経て全文発禁解除〉と帯に付されて発行された吉田満の『戦艦大和の最期』から引いたものです。

なぜ4月号の企画として登場することになったか。それは、大日本帝国海軍の象徴だった戦艦大和が、最後の水上部隊を率いて〝沖縄特攻〟に出撃し、鹿児島県坊ノ岬沖で米軍艦載機との壮烈な戦闘の末に潰えた日が、昭和20(1945)年4月7日だったことによります。吉田満はこのとき戦艦大和に少尉(副電測士)として乗組み、九死に一生を得て、終戦後、一気に『戦艦大和の最期』を書き上げました。

大日本帝国海軍の燦然たる栄光の日が「5月27日」(明治38年、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃滅した日)であるならば、その事実上の終幕の日が「4月7日」と言っていいでしょう。明治に開国した我が国が、息急き切って〝坂の上の雲〟をめざして駆け上がり、列強に伍する近代国家となった、その歩みの帰結として大東亜戦争がありました。

どの民族、どの国家にもその歴史の中で記憶されるべき日が必ずありますが、その意義を忘れてしまっているのが戦後日本人ではないでしょうか。今日、5月27日といい、4月7日といって、「ああ、あの日か」と、父祖の歩みに思いを馳せられる人はどれほどいるか。

お隣の国はこの点、非常に強い意識を持っています。この3月1日、韓国では、1919(大正8)年に起きた「三・一独立運動」から100年の記念日でした。文在寅大統領は記念式典で、日本の朝鮮半島統治に抵抗し「当時、7500人の朝鮮人が殺害された」と述べました。

文氏の挙げた死者7500人、負傷者1万6千人余、逮捕・拘束者約4万6千人余という数字は、同年4月11日に上海で設立された「大韓民国臨時政府」で第2代大統領を務めた朴殷植(パク・ウンシク)氏の著書『朝鮮独立運動の血史』に拠ったようですが、当時の朝鮮総督府の集計では死者は553人です(ちなみに、韓国の国史編纂委員会[政府機関]は、この2月20日に公開したデータベースで「三・一独立運動」の死者は朝鮮半島以外を含めて「最多934人、最少725人」という推定値を挙げています。)。

「三・一独立運動」100年の記念日に続き、4月11日には「大韓民国臨時政府」の設立100周年の行事も行われるでしょう。従来、韓国は李承晩が大統領に就任した1948(昭和23)年8月15日を建国記念日としてきましたが、文大統領は臨時政府設立の1919年を「建国の日」とし、昨年8月15日は「政府樹立70周年」とされました。

韓国のことは措きます。日本のメディアは2月半ば頃から韓国の「三・一独立運動」記念日に関連付けて日韓関係をあれこれ論じましたが、他者の日本に対する眼差しは気になっても、父祖の歴史に対する思いのなんと薄いことかと嘆息せざるを得ません。

去る2月13日が、日本にとって記念すべき「人種差別撤廃提案百周年」の日だったことを報じたマスメディアがあったでしょうか。

第一次世界大戦が大正7(1918)年11月に連合国の勝利で終わり、翌大正8(1919)年6月に終戦処理のヴェルサイユ(パリ)講和条約が調印されました(翌年1月10日、講和条約が発効するとともに国際連盟が成立)。

この会議に我が日本は当時の連合国の一員として参加しました。講和会議に集った連合国は28カ国でしたが、実質的な問題を決めたのはイギリス、アメリカ、フランス、イタリア、そして日本の、いわゆる五大国でした。近代以降、有色人種の国が「国際会議」に主要国として座を占めるのは、このときの日本が初めてです。

国際連盟規約草案検討委員会において、我が国の牧野伸顕全権委員は画期的な提案をしました。それは連盟規約案第21条の「宗教の自由」の規定のあとに次の一項を加えよ、というものでした。

「国民平等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに鑑み、締約国は連盟員たるすべての国家の人民に対し、その人権及び国籍の如何に依り法律上、または事実上何らの区別を設くることなく、一切の点において均等公平の待遇を与うべきことを約す。」

コロンブスの「新大陸」発見以来、白人から差別され続けてきた有色人種の代表という立場を以て、日本は人種差別撤廃を訴えたわけです。この提案をなしたのが大正8(1919)年2月13日でした。

この提案はどうなったか。最初の提案時は、規約21条自体が成文化されず話は流れてしまいましたが、日本は粘り強く各国を説得し、約2カ月後の4月11日に開かれた規約草案検討委員会最終回会合で、規約前文に人種差別撤廃の理念を掲げることを提案し、この案が採決にかけられる所まで持っていきました。

ところが…、賛成11に対し反対5の圧倒的多数で支持された日本提案は、議長のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが、このような重大案件は多数決ではなく全会一致が必要だと唐突に規則を変更し、票決を無効にしてしまったのです。

日本の提案は「この提案をすぐに実行せよ」というのではなく、各国がそれぞれの国情に応じて努力することを求めたもので穏当なものでした。にもかかわらず…。

故渡部昇一先生が30年前に、「今、ニューヨークの国連ビルでは、国家の熊(てい)をなしていないような国の代表も大きな顔をして発言している。その人たちが今から七十数年前の日本の孤軍奮闘ぶりを想い起こしてくれることがあるだろうか」と述懐されたことを思い出します。

いまの日本人こそが、「七十数年前の日本の孤軍奮闘ぶり」を知らないのではないか。試しに教科書を一冊(『改訂版 詳説日本史B』山川出版社、2017年刊)を開くと、《パリ講和会議とその影響》の項の本記に日本の人種差別撤廃の提案はなく、脚注に小さな字で〈会議で日本側が主張したそのほかの論点として、人種差別撤廃案があった。アメリカの日本人移民排斥への対応、また国際連盟を白色人種にのみ有利な組織にしないことをねらったが、列国の反対で条約案に入らなかった〉とあるだけです。そして山川の教科書が例外的というわけではない。

韓国の「三・一独立運動」は、本記で文字数が費やされており、ここでも、教科書に採り上げられる日本の歴史は「影」の部分が強調され、「光」は仄暗いものにされています。

「歴史の事実は雨上がりの大気中にある水滴のごとく無数にある。その断片を拾い集めればどれもが事実だが、ある視点からそれらを見ると虹が見える。その虹が歴史というものである。」

これは渡部先生に教えられたイギリスの哲学者オーウェン・バーフィールドの言葉です。

無数にある歴史の事実から輝く虹を見せることが一国の歴史教育の要諦で、そうした美しい虹が見える視点を与えることが戦後の日本の教育からはすっぽり欠落してしまっている。

――こう力説された渡部先生が亡くなって間もなく2年です。

【上島嘉郎からのお知らせ】

●3月19日(火)、DHCテレビ「真相深入り! 虎ノ門ニュース」に出演します(午前8時~10時/YouTube、FRESH LIVE、ニコニコ動画)。
https://dhctv.jp/movie/102129/

●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい
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●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考する
『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)
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●拉致問題啓発演劇「めぐみへの誓い―奪還」映画化プロジェクトの御案内
http://megumi-movie.net/index.html

●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。
・平成31年2月1日〈スクープ!景気拡大「いざなぎ超え」の真実 /私たちには「加害」の歴史しかないのか/断ち切るべき「国際協調」という幻想〉
https://www.youtube.com/watch?v=dEe2YItEJGA
・3月1日〈沖縄問題に見る日米安保の正体/沖縄の民意は真摯か〉
https://www.youtube.com/watch?v=_l0S_x0Wooo