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さて、私は大東亜戦争の戦跡慰霊と取材のためミャンマー(旧ビルマ)に発つ直前に本稿を書いています。

日本とビルマの関係をみると、20世紀初頭、ビルマ人に大きな影響を与えたのが日露戦争(1904~05年)の日本の勝利でした。

ビルマ人の独立運動家バー・モウは戦後、イギリスで刊行した回想記『ビルマの夜明け(Breakthrough in Burma)』(邦訳・太陽出版、昭和48年)でこう述べています。

〈私は今でも日露戦争で日本が勝った時の感動を思い起こすことができる。私は当時、小学校に通う幼い少年に過ぎなかったが、その感動はあまりに広く行きわたっていたので、幼い者をもとりこにした。たとえばその頃流行した戦争ごっこで、幼い我々は日本側になろうとして争ったりしたものだ。こんなことは日本が勝つまで想像もできぬことだった。ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。それは我々に新しい誇りを与えてくれた。〉

日露戦争における日本の勝利が、白人至上主義の時代に敢然と有色人種が戦いを挑んだ出発点とするなら、その帰結としてまさしく大東亜戦争があったと言えます。

アメリカの歴史学者ロスロップ・スタッダードは『有色人種の勃興』でこう述べました。

〈すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。一九〇四年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人も考えおよばなかった。(略)

 一九〇〇年は、四百年間みなぎり来った白人潮勢の頂点であった。白人はそのとき、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。〉

平成最後の「終戦記念の日」の新聞社説は相変わらず「日本はアジアの声を聞け」「戦争の反省を忘れるな」といった訴えが目立ち、たとえば『朝日』は、「戦後73年とアジア 未来へ向け記憶を紡ぐ」と題しこう書きました。

〈この歳月を経てなお、日本はアジアでの和解を成し遂げていない。(略)侵略や植民地支配の記憶という「負の遺産」の風化をこのまま待つという姿勢では、未来志向の関係は築けない。(略)

自らの過去を美化することはできない。しかし、将来を変えることはできる。平和と繁栄と人権を尊ぶ目標を各国の国民とともにし、アジアの未来への新たな記憶を紡いでいく。そんな日本の姿を築いていきたい。〉

 お説ごもっとも!と言いたいところですが、この社説執筆者の念頭にある「アジア」は中国と朝鮮半島であって、他の国々は捨象しているように感じられます。戦前の日本とアジア各国との関係は〈侵略や植民地支配〉という言葉だけで括れるような単純なものではありません。『朝日』は〈アジアの未来への新たな記憶を紡いでいく〉といいながら「負の遺産」を強調するばかりで、戦前の日本がアジアの未来を切り拓こうと苦闘した歴史を伝えません。日本には「負の遺産」しかないのか。答えは「否」です。それをこれから皆さんと一緒に考えていきたいと思います。