ユーチューブで時々配信している「遠くの声を探して」の収録をつい先日行いました。半年ぶりです。ユーチューブにしろ、フェイスブックやツイッターにしろ、私はそれらを使うことにいまだにしっくりときません。デジタルの世界に合わない、合わせる気のない時代遅れの初老の男であることを自覚しています。
だから、短く、歯切れよく、インパクトのある話を求められても、「現実の世の中はそんなに単純なものじゃない」といささかの反発があって、本道を外れて横道に入ったり、同じ所をぐるぐる廻ったりと、いつもとりとめのない話になってしまいます。山本夏彦さんの最後の頃のエッセイに出てくる「寄せては返す波の音」という言葉に自らを重ね、それに皆さんを付き合わせているのだな、と忸怩たるものがあります。
さて、「遠くの声を探して」で公文書研究の第一人者である有馬哲夫・早稲田大学教授の近著『日本人はなぜ自虐的になったのか』(新潮新書)の紹介をしました。どこかの国と紛争になったとき、戦うことを忌避し、戦いを放棄すれば命は救われるのか。今日の日本人に突き付けられている問題を考える上で不可欠の視点、事実が示されています。
有馬さんは同書でこう述べています。
〈もちろん戦争は絶対に避けるべきです。誰もこれには異論がないでしょう。しかし、「戦争はみな悪なのか。どんな戦争もいけないのか」はよく考えなければいけません。
戦争には大きくわけて侵略戦争と防衛戦争があります。しかし、私の経験では、「戦争反対」と言っている人々は、この区別があることすら意識していないようなのです。
戦争や戦力を絶対悪のように見なす考えが正しいとすると自分たちの生命と財産を侵略者から守る防衛戦争も悪であり、それをしてはならないことになります。また、敵対する国が戦争を仕掛けてこないよう抑止するための戦力を持ってもいけないことになります。日本では、メディアも国民もこれが正しく当たり前のことだと思っています。世界から見るとこれはきわめて異常です。〉
有馬さんは、御自身の滞在経験を含め永世中立国スイスを例にこう語ります。
〈スイス人の銃所持率はアメリカに勝るとも劣りません。なぜそんなに高いのかというと、いつでも銃を取って自衛戦争に参加できるようにするためです。
観光地などで、休日に元軍人たちがパレードを行ったり、演説をして気炎を上げたりしているのをよく見かけます。「スイスは永世中立国なのになぜあなたたちがこのように、目立つところでパレードをしたり集会を開いたりするのか」と聞くと「いつでも戦争に参加できるように仲間同士コミュニケーションを取ったり士気を保つためだ。そして何より、こうしていることを外国人に見てもらうためだ」と言います。つまり、いつでも国を守るために立ち上がる心の準備をしておくことと、その気構えを外国人に知ってもらうために、彼らは休日も集まっているのです。(略)
さらには、アルプスの山奥で重機を使って軍事施設を造っているのを見かけることがたまにあります。この平和な時代、いまさらそのような施設を造ってどうするのかと思いますが、スイス人は「常に侵略戦争を想定して、防衛上重要な拠点だと思えば造り続ける。また、それを外国人に見せることは侵略の抑止になる」と言います。
感心するのは、「今は平和で、戦争の可能性なんかないのだから、こんな労力と犠牲を払うのはやめよう」などと彼らがみじんも思わないことです。
スイス人が戦争を抑止するために払う努力と犠牲には頭が下がります。彼らは陸続きの小国ゆえに日本人以上に戦争を嫌い、平和を愛し、その尊さを知っています。しかし、その考え方、することは日本人と真逆です。彼らは「戦争を防ぐために戦争の準備を怠ってはならない」と考え、そのように行動します。〉
戦後の日本人は、現行憲法9条を金科玉条にして、戦争放棄を謳い、戦力不保持を宣することが平和への道と信じています。すべての日本人がそうだとは云いませんが、「戦争はしたくないので戦争への備えはしない。備えることは戦争を招き寄せる」という考えが大勢ではないでしょうか。
有馬さんはこう指摘します。
〈これがいかに非現実的か、そして危険かは、かつて戦場となったヨーロッパや現在の中東の国々を見ればわかります。これらの国々は戦争をしたくてしたのではありません。十分な抑止力がなかったために戦争に巻き込まれてしまったのです。
たとえばノルウェーとべルギーは第2次世界大戦で中立でしたがドイツの侵攻を受けました。とくにべルギーはフランスへの進撃ルートにあったので戦場となってしまったのです。第1次世界大戦のときもそうでした。
オランダは、第1次大戦のとき総動員体制を取り続けたのでドイツの侵攻を免れました。第2次世界大戦ではロッテルダムが壊滅するまで抵抗しました。このため、再び抵抗されることを恐れたドイツは、ポーランドやチェコでしたような圧制は行いませんでした。(略)
歴史を振り返ると、戦争準備を怠った国ほど戦争に巻き込まれ、ひどい目に遭っています。(略)
そうしたことを知っている世界の多くの国の人々は、平和を祈り、戦争を嫌っていますが、自衛戦争もいけない、それも悪であるなどとは思っていません。自衛力を強化することをタブー視するどころか、敵国が付け入ることがないよう、戦争の抑止になるよう、できるだけ強力な軍事力を手に入れたいと思っています。それが「普通の国」なのです。〉
では、そうした「普通の国」と日本はどこが違っているのか。またなぜ違っているのか。有馬さんの答えは、〈「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」があるか、ないかの違いなのではないでしょうか〉というものです。(この項つづく)
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