4月30日で「平成」という時代が幕を閉じ、5月1日には皇太子殿下が即位されます。それとともに、退位特例法(平成29年6月成立、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」)制定時の付帯決議に基づいて「皇位の安定的継承等」のための検討が始まります。
「ライズ・アップ・ジャパン」3月号(10日配信)では、日本人として知っておきたい常識としての「皇室伝統」や「皇統とは何か」について話をしました。
「国体」という言葉があります。事典類を引くと、たとえば〈(1)憲法学、国家学などでは、国の主権のあり方(君主制,共和制)をさし、主権の運用の仕方としての政体(専制政治,立憲政治)と区別される。(2)明治憲法下の日本では一般に〈国がら〉という漠然とした内容で、もっぱら万世一系の天皇が統治する尊い国という意で用いられた〉(平凡社『百科事典マイペディア』)と解説されます。
国体、国柄という概念は、日本だけにあるのではありません。「Constitution」という英語は「憲法」と訳されることが多いのですが、もともとは国体、国柄のことです。憲法というと、第一条、第二条…と連なった文章を思い浮かべますが、イギリスのように明文化された憲法を持たない国もあります。イギリスでは、国の体質(国体)そのものが明文化されざる憲法で、同じように、かつての日本人が明文化されざる憲法として暗黙のうちに了解していた「国体」の柱が天皇、皇室です。
わが天皇は「万世一系」です。これが何を意味するか。「中国○千年の歴史!」という隣国と比べてみるとよくわかります。シナ大陸には太古の堯舜から清朝まで、数多の王朝が興っては斃れるということが繰り返されました。
12世紀以降をみても、元は蒙古族、明は南方漢民族、清は満洲族の王朝と、三つの種族がほぼ同じ地域に国家を建てました。主な文献が漢文で残されていることもあって、日本人の感覚では何となく一つの王朝の連続体のように思いがちですが、もともと民族、言葉の系統、習俗も違う〝異なる王朝〟なのです。
こうした「易姓革命」のシナ大陸と、神話時代から現代まで一つの王朝が絶えることなく続いてきた日本とでは、そこに住まう人間の意識はまるで変わってきます。
日本は、建国の神話が歴史時代に繋がって途切れていません。この連続性に深い意味があります。世界を見渡すと、神話と歴史が途切れた国というのは、いずれも建国神話を持った民族(先住民族)が、異民族の征服に取って代わられています。日本はそのようなことがなかった稀な国なのです。
たとえば元寇によって日本が征服され、フビライの支配が及んだとしましょう。我が皇室は廃絶され、日本が完全に元の属国になったとすればどうなるか。その後のシナ大陸の王朝交代がどうあれ、日本を統治するのは、我が国の建国神話とは繋がりのない人間になったでしょう。シナ大陸の「易姓革命」というのは、新たに興った王朝が〝天から命を受けた〟という理屈を立て、建国の正統性と人々の恭順の感情を結びつけようとするものです。
神話と歴史が途切れた国ではこうした〝苦しい言い訳〟が必要になります。ところが日本は、神話の時代から繋がる「万世一系」の血筋によって王朝が続いている。いかなる軍事力や富力を有していても、それを簒奪することはできない。日本における王朝は、軍事力や富力に基づくのではなく、神話に基づいているからです。これは「良い」「悪い」というような価値観の問題ではなく、日本人と日本という国はそうやって今日まで続いてきたということで、これが特徴であり「国体」であるという事実に間違いはないでしょう。
故渡部昇一先生から、我が皇室と西欧の王室との違い(とくに庶民との関係)についてこんな話を伺ったことがあります。
理屈からすれば、イギリスでもデンマークでも、自分たちの王と庶民が遠い親戚であるといって悪い理由はない。どこの国でも過去をはるか遠くまで遡れば、世界中に繋がっていくはずだから、イギリスの庶民が「俺は昔々を辿れば今の王様と親戚だ」と言える。
ところが、意識としてはそう言えない部分がある。イギリスにおいては、1066年ノルマン・コンケスト(ノルマン人ウイリアム征服王によるイングランド征服)があり、言語も違う人々に征服され、貴族はフランス語、土着民衆はイギリス語に分かれ、イギリスから追い立てられたケルト人が周辺に住んでいた。意識的には、今の王家を自分たちの先祖と考えられない人が圧倒的に多いのである、と。
これが日本になると、過去を遠くまで辿れば、うちも皇室に繋がるのではないかという意識が不自然なく存在する。日本人は、生物学的にも、意識的にもそう言える人が圧倒的に多い。しかも、歴史とは「民族の共通の記憶」であり、生物学ではなく、意識の問題だから、日本人の歴史、あるいは王朝に対する意識の持ち方は大きな特徴と考えるべきである。
渡部先生は、御自身の「渡部家」の話もしてくれました。
母方も父方も、遡り得るかぎり東北地方、山形の百姓だが、大昔から家紋は「渡辺星」だった。その紋は日本中どこへ行っても渡辺姓(もしくは渡部姓)であり、この紋付きを着ている人に後ろから「わたなべさん」と呼びかけても、まず間違いない。我が家では、意識的には渡辺綱(平安中期の武士。源頼光の臣で、その四天王とされる。洛北市原野の鬼同丸、羅生門の鬼、大江山の酒吞童子を退治した武勇の伝説で知られる)の子孫であると考えている。
渡辺綱の一族は、どこかで必ず源氏の一族と結婚しているはずで、源氏を遡ればそれは必ず清和天皇に繋がり、それは天照大神にまで遡る。歴史時代から神話の時代まで…これはなんら不思議のない感情だろう。
同じように、九州の田舎に行けば平家に繋がる人間が必ずいるわけだし、それらの人は桓武天皇を遠い先祖として意識しても不思議ではない――。
渡部先生のこの話は、死去後のいまも『歴史の読み方』(祥伝社)で知ることができますが、我が国体をさして「天皇を中心にした家族のような国」と表して誤りではない、心弾むものが感じられます。
明文化されざる我が国体、私はこれを大切に守っていきたいと考える立場です。明治憲法から現行憲法へと、天皇と皇室に関する規定がつくられ、制度化された今日、御先祖が営々と維持してきた「暗黙の了解」をいかに守っていくか、そのための努力をいかに傾けるかを議論していかねばと心しています。
さて、取り留めなく綴ってきましたが、「皇室」と「皇統」に関する基本的な認識を二つ、皆さんと共有しておきたいと思います。
一つは、今日では誰もが普通に口にする「天皇制」という言葉についてです。
「天皇制」という文字の初出は、大正12(1923)年の『日本共産党綱領草案』です。前年第一次日本共産党が創立されるときに徳田球一が代表としてモスクワに派遣され、そのとき持ち帰った「俗にブハーリン・テーゼ」と称せられるものをもとに、日本共産党は、天皇の政府及び天皇制の廃止を掲げねばならぬとしたのです。
故谷沢永一先生はこう記しました。
〈戦後の日本共産党は、『赤旗』第一号(昭和20年10月20日)に「人民に訴ふ」を掲げ、その第三項に、「我々の目標は天皇制を打倒して、人民の総意に基く人民共和国政府の樹立にある」と明記した。
昭和二十五年の『大百科事典』〉新補遺に至る迄、我が国の辞書事典に、天皇制という項目はない。それ以後に現われた天皇制の解題は、殆ど必ず主題に対して否定的である。
すなわち「天皇制」という呼称は、それを「廃止」したいという意向を、仄めかす為の暗号として、「廃止」論者の間に「定着」したのである。
嘗て短慮にも誤った私は、この語を皇室と言い改めたい。しかし同時に「打倒」待望者たちが、天皇制という党派的符牒語を、駆使する自由を興味深く認めてゆこう。〉(『Voice』昭和60年1月号)
もう一つは「皇統」に関することです。
明治天皇―大正天皇―昭和天皇―今上天皇と、約150年の間、皇位が直系で継承されてきたことから(実際には後述のように光格天皇から)、今日では、漠然と親子関係で繋がれるのが「皇統」だと思い込んでいる日本人が多いように思われます。
「皇統譜」というものがあります。それに明らかなように、皇位は常に直系で継承されてきたわけではありません。歴史を遡れば、7代以上にわたって直系継承されたのは、初代神武天皇から第12代景行天皇まで、次いで室町時代の第102代後花園天皇から江戸時代初期の第109代明正天皇まで、江戸時代末期の第119代光格天皇から今上天皇までの3度しかないのです。それ以外は兄弟間や、叔父から甥、甥から叔父などの継承があり、直系が絶えたときは傍系に遡って皇位は継承されてきました。
1336年に後醍醐天皇が吉野に移ってから、後亀山天皇が京都に戻って南北朝が合体する1392年までを南北朝時代と呼びますが、このとき持明院統(後深草天皇の系統)と大覚寺統(亀山天皇の系統)の間で、十数代にわたって皇位が交互に継承されました。
皇統の男系継承の危機も4回ありましたが、御先祖は懸命の努力をし、直系から遠く離れた傍系の皇族男子による皇位継承で「万世一系」を守り続けました。第25代武烈天皇から第26代継体天皇までは10親等、第48代称徳天皇から第49代光仁天皇までと、第101代称光天皇から第102代後花園天皇までは8親等、江戸後期の第118代後桃園天皇から第119代光格天皇までは7親等も離れています。
皇位継承の優先順位は、直系ではなく男系にあり、これまた「良い」「悪い」ではなく、御先祖が大切にしてきたことがそれだったという事実が重いのです。こうした事実は、百地章日本大学名誉教授や新田均皇學館大学教授ら専門家が折節指摘してきましたが、「天皇制」を定着させたメディアは、「皇統」の実際を積極的に伝えることをせず、広く国民共有の〝常識〟となるには至っていません。
したがって、国民の多くが「女性天皇」と「女系天皇」の違いもわからぬまま、多くが「女性が天皇になることの何が問題なの?」「男女平等の時代なのに…」といった反応になるのも、やむを得ないものがあります(ちなみに、推古天皇、持統天皇など10代8人の女性天皇はすべて父方に天皇の血筋をもつ男系継承です)。
私はかつて、『別冊正論』(第14号)として「皇室の弥栄、日本の永遠を祈る」という一冊を世に出しました(平成23年)。副題は「皇統をめぐる議論の真贋」で、当時、漫画家の小林よしのりさんらを中心にした皇統の「女系継承」容認論に否と訴えたものです。
小泉内閣時代の皇室典範改定への動きを思い出すと、「皇室も構造改革だ!」とばかりの安易な国体破壊がなされんとしたことに、今でもヒヤリと背筋が寒くなります。「皇位の安定的継承等」のための検討には、その前提となる基本的な事柄を国民が理解しておく必要があります。「ライズ・アップ・ジャパン」はその一助となるよう努めます。
*手元にある『別冊正論』(第14号)を10名の方に差し上げます。今日でもテーマと内容はまったく色褪せていないと自負していますが、発行年から8年経っていますので、本の状態についてはお察しください。御希望の方は質問フォームなどから事務局に申し込んでください。応募多数の場合は抽選になります。
【上島嘉郎からのお知らせ】
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●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。
・平成31年2月1日〈スクープ!景気拡大「いざなぎ超え」の真実 /私たちには「加害」の歴史しかないのか/断ち切るべき「国際協調」という幻想〉
https://www.youtube.com/watch?v=dEe2YItEJGA
・3月1日〈沖縄問題に見る日米安保の正体/沖縄の民意は真摯か〉
https://www.youtube.com/watch?v=_l0S_x0Wooo