吉田満の『戦艦大和の最期』が吉田氏自身によっていかに改稿されたか――。
江藤淳の教え子の一人が、現行版(今日講談社文芸文庫の1冊として読むことが出来ます)を〝文学的〟であるとし、〈著者の本来の意図ではなく圧力によって〝文学的〟にさせられたのである。初出が検閲によって不許可になったために、事実に虚構を加えて人道的にすることによってやむを得ず出版されたのが決定版であるとも考えられる〉と考察したのは前回書きました。
結びの一文はなぜ〈至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ〉から〈今ナオ埋没スル三千ノ骸(むくろ)/彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何〉に書き換えられたのか。
実は、同書には他にも看過できない部分があります。初出にはまったくなかった一文が、大和の沈没後を記した「救出消息」と題する終盤の章に加えられているのです。
〈「初霜」救助艇ニ拾ハレタル砲術士、左ノ如ク洩ラス――
救助艇忽チニ漂流者ヲ満載、ナホモ追加スル一方ニテ、スデニ危険状態ニ陥ル 更ニ拾収セバ顛覆避ケ難ク、全員空シク西海ノ藻屑トナラン シカモ船ベリニカゝル手ハイヨ/\(*注 いよいよ)多ク、ソノ力激シク、艇ノ傾斜、放置ヲ許サザル状況ニ至ル
コゝニ艇指揮及ビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘ヲ拂(はら)ヒ、犇メク(ひしめく)腕ヲ、手首ヨリバツサ、バツサト斬リ捨テ、マタハ足蹴ニカケテ突キ落トス セメテ、スデニ救助艇ニアル者ヲ救ハントノ苦肉ノ策ナルモ、斬ラルゝヤ敢ヘナクノケゾツテ(*注 のけ反って)堕チユク、ソノ顔、ソノ眼光、終生消エ難カラン
剣ヲ揮フ身モ、顔面蒼白、脂汗滴リ、喘ギツゝ船ベリヲ走リ廻ル 今生ノ地獄ナリ――〉(漢字の一部を正字から略字にしました)
「初霜」というのは戦艦大和と共に沖縄に向かった第二水雷戦隊(二水戦)の駆逐艦の1隻で、当時の戦闘詳報などによると、大和沈没後、生存者の救助に当たったのは、駆逐艦「冬月」、同「雪風」、同「初霜」の3艦で、初霜はまず二水戦旗艦の「矢矧」沈没現場に急行し、司令官以下を救助して将旗を掲げ、次いで駆逐艦「浜風」の生存者を救助後、大和の沈没現場に向かっています。
吉田氏はその「初霜」の救助艇で、船縁に手をかける生存者たちの手首を乗組の下士官が日本刀でバッサバッサと斬り捨て、足蹴にしたというのです。ただし、自分が直接見たのではなく、〈「初霜」救助艇ニ拾ハレタル砲術士〉が洩らした話だと。砲術士が誰なのかはわかりません。
この「手首斬り」の話は今日、日本軍がいかに残虐で酷薄であったかを示す事実として〝独り歩き〟している感があります。
吉田氏の記述に対し、「事実無根」として「初霜」の通信士で、実際に救助艇の指揮官をつとめた松井一彦氏が抗議しました。松井氏は昭和42(1967)年、同書が再版されるのを知って吉田氏に手紙を送り、「あまりにも事実を歪曲するもの」と削除を要請しました。吉田氏からは「どこまでが『物理的』事実であったか、それは何びとにも明らかではない」、「次の出版の機会に削除するかどうか、充分判断し決断したい」との返書が届いたものの、結局、手首斬りの記述は削除も変更もされないまま、吉田氏は昭和54(1979)年に死去しました。
この松井氏の抗議と吉田氏からの返答の経緯は、平成17(2005)年6月20日に『産経新聞』が報じました。
記事によれば、松井氏は「言い訳めいたことはしたくなかった」として、旧軍関係者以外に当時の様子を語ったり、吉田氏との手紙のやり取りを公表したりすることはなかったのですが、『朝日新聞』が同年4月7日付(まさに戦艦大和以下の第一遊撃部隊が斃れた日)の「天声人語」で「手首斬り」の記述を史実のように取り上げたため、「戦後60年を機に事実関係をはっきりさせたい」として産経の取材を受けたものです。
松井氏は、初霜だけでなく「別の救助艇の話であっても、軍刀で手首を斬るなど考えられない」とし、理由を次のように挙げています。
(1)海軍士官が軍刀を常時携行することはなく、まして救助艇には持ち込まない。
(2)救助艇は狭くてバランスが悪い上、重油で滑りやすく、軍刀などは扱えない。
(3)救助時には敵機の再攻撃もなく、漂流者が先を争って助けを求める状況ではなかった。
松井氏の具体的な指摘に吉田氏は個々に反論せず、返書には「あのようなこと(手首斬り)があり得るのが現代の戦争の特質であり、それが個人の良心や責任を超えた非情のものであることを描いた点で一つの意味があった」との説明があったそうです。
「手首斬り」を事実とするなら、たしかに「天下ニ恥ヂザル最期ナリ」とは書けないでしょう。話を洩らした砲術士が実在したとして、その話はいつどこで聞いたのか。救出され佐世保に帰着してすぐなら、なぜ初出に書かれていないのか。あるいは話を聞いたのはもっと後で、改稿を決めた頃だったのか…。
GHQの検閲方針は「日本人に対し日本が無法な侵略を行った歴史、とくに極東において日本軍の行った残虐行為について繰り返し自覚させる」というものでした。
ということは、「天下ニ恥ヂザル最期ナリ」では「軍国主義を讃える」ことになり、検閲許可となる可能性はないということです。
吉田氏は、初めはそうした検閲指針に抵抗したでしょう。抵抗しつつも何とか出版したい。その試みが6種類のテクストが存在する理由であろうと思います。しかし結果は、すでに述べたような改変を経たものを世に出しました。
3種類のテクストを読んだもう一人の学生は、吉田氏の初出の描写に対し、〈その背景にある確固たる彼の当時の〝自己〟の存在に僕は感動する。そこには戦争を賛美するだの○○するだのという小賢しい逃げの態度はみじんもなく、戦争を全身でうけとめてその中で自分の義務を完全に果してゆく一人の実存がある〉と述べましたが、改稿は、吉田氏の確固たる〝自己〟の存在を希薄化し、江藤氏が指摘した〈過去の否定または、〝進歩的〟過去のみの再確認、葛藤の無視または〝階級的〟葛藤のみの容認を主流とする〉戦後文学の特質に近づいていったと云えるでしょう。(この項つづく)
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