トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、ベトナムの首都ハノイで2度目の米朝首脳会談を行っています。昨年6月、シンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談で確認された「北朝鮮の最終的かつ全面的に検証された非核化」に向け、トランプがどこまで金正恩に具体的な措置の実行を確約させることができるかが焦点です。速報を見ると、トランプは「成果を上げることを急いでいない」と言っています。さて、どうなるか――。

本稿は別のことを書きます。

「2月28日」という日に皆さんは何を連想するでしょうか。

72年前(1947年)のこの日、台湾で「2・28事件」と呼ばれる、蒋介石の国民党政府に対する台湾人の大規模な抗議運動とそれへの武力弾圧が発生しました。

大東亜戦争の敗戦によって日本は引き揚げることになり、蒋介石の国民党政府の官僚や軍人が代わって進駐してきました。日本統治時代を体験した台湾人にとって、大陸からやってきた中国人官僚、軍人らの汚職や腐敗、市民に対する狼藉は許し難いものとなり、2月28日に台北で発生した抗議運動は一気に全土に拡大しました。

当時大陸にいた蒋介石は3月8日、師団規模の軍を台湾に上陸させ、無差別発砲や銃殺などを続け、1992年に台湾当局がまとめた事件の調査報告書では台湾人の死者を1万8千人から2万8千人と推定しています。

1949年、台湾は国共内戦に敗れた蒋介石が「大陸反攻」を掲げて統治する「中華民国」となりました。「台湾人の国」を望む台湾人への弾圧は続きました。

「台湾独立運動」というのは、いったい何からの独立なのか。台湾独立建国連盟主席の黄昭堂さん(2011年死去)の言葉を借りれば、「国民党は台湾を〝侵略者〟 から解放したのではなく、新たに占領した。ひどい統治だった」。

そこで台湾人は、「国民党政権はいらない。台湾は台湾人の手で国づくりをする」と考えた。

ここには二重の意味があります。一つは大陸からやってきた中華民国の支配からの独立であり、もう一つは、その中華民国を台湾島に追いやったうえで、「一つの中国」を主張して台湾人を併呑しようとする中華人民共和国からの独立の確保・維持です。現在の蔡英文政権は、この二重の意味での独立を志向する系譜にあります。

金美齢先生との対談を御覧いただいた皆さんは、『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014年、製作総指揮・魏徳聖)という台湾映画の話を覚えておられると思います。
http://seiron-sankei.com/9589

「KANO」は、昭和6年(1931)年8月、日本統治時代の台湾から甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校野球部を描いた青春群像劇で、日本人の監督と台湾に暮らす異なる民族の球児たちが育んだ強い絆が主題です(タイトルがなぜアルファベットの「KANO」なのか。是非、金先生との対談で確認してください)。
http://kano1931.com/

魏徳聖は、『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)、『セデック・パレ』(2011年)の2本を監督した後、「野球映画は野球のわかる人間が撮るべき」として、野球経験のある俳優、馬志翔に監督を任せ、自身は脚本と製作に回りました。

『セデック・パレ』は、同じ日本統治時代でも、先住民と日本人が衝突した「霧社事件」を描いた作品で、日本国内では反日映画と反発した向きもありましたが、魏徳聖自身は『海角7号』にしろ『セデック・パレ』にしろ、「台湾人の歴史、台湾人の物語」を描きたいと語っていて、日本との関わりの光と影を「自らの物語」として描こうとする彼のバランス感覚はなかなか公平なものだと思います。

東日本大震災で台湾からの義援金は各国の中で群を抜く250億円に上りました。台湾の人口(約2300万人)やGDP(国内総生産)などを考えると、彼らのこうした支援は破格のものであることがわかります。

なぜ台湾人は日本に想いを寄せてくれるのか――。

司馬遼太郎の『台湾紀行』に、かつて日本人だった蔡昭昭さんという美しい台湾婦人から、

「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」と尋ねられ、

「美人だけに、怨ずるように、ただならぬ気配がした。私は意味もなくどぎまぎした」と司馬さんが困惑する場面が出てきます。

日本が台湾を捨てた――それが昭和20年8月のポツダム宣言受諾による台湾の放棄なのか、昭和47年の田中角栄内閣による「日中国交回復」と「日台断交」なのか、あるいはその両方なのか。

「家族ぐるみのお招ばれの席上で、にわかに現代史の話を持ちだすのは無粋」と思った司馬さんは黙ってしまうのですが、昭昭さんは再度、

「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」と尋ねます。

「たずねている気分が、倫理観であることは想像できた。考えてみると、彼女の半生をひとことでいえば、水中の玉のように瑩として光る操なのである。こういう人の前では、答えに窮したほうがいいとおもった」

答えに窮した司馬さんと同じような思いを、私も台湾を旅し、台湾人を取材して何度か味わった覚えがあります。

平成12(2000)年の夏。『台湾紀行』に〝老台北〟として登場する蔡焜燦さんの『台湾人と日本精神』(日本教文社、現小学館文庫)の出版と、金美齢先生の御夫君である周英明博士の40年ぶりの台湾帰国を祝う宴席に出席したときのこと(場所は台北市です)。当時は李登輝さんに続く2人目の台湾人総統陳水扁さんの時代。

蔡さんはビールのグラスを目の上まで上げると、「お国のために」と言ってグラスをほし、周博士も、金先生も、そして私も「お国のために」と応じました。

金先生が、「いつ頃からか、〝お国のために〟というのが、蔡さんと私の合言葉になってしまった」と『台湾人と日本精神』の序文に記したのを思い出しつつ、日本ではとんと聞かれなくなってしまった「お国のため」という言葉が、妙なリアリティーをともなって私の胸に響いてきたことを思い出します。

蔡さんは同書のあとがきで、

〈「祖国・台湾よ永遠なれ!」
「かつての祖国・日本よ永遠なれ!」
 私は、“二つの祖国” の弥栄を祈り続ける。〉

と綴っています。こうした歴史を共有し、こうした思いを率直に披瀝してくれる人々がいる国は、世界中に台湾しかない。

同じく日本統治を受けた歴史を持つ〝あの国〟とは大変な違いです。

『海角7号』や『KANO』のような物語は、〝あの国〟の人々との間にも無数にあったはずですが、彼らはそれを否定し、無視し、「親日清算」を叫んでなかったことにするのに熱中しています。

そういえば明日、韓国では大正8(1919)年に起きた「三・一独立運動」から100年の記念日です。文在寅大統領の口から、どんな「反日演説」が飛び出すか。

中華人民共和国、韓国、北朝鮮…。私たちが大切に付き合うべき相手は誰か。いよいよこのことを真剣に考えねばなりますまい。

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