戊辰戦争は、会津藩と長州藩の戦いのみに焦点が当てられるべきではありません。薩摩藩と庄内藩の話を、当事者の後裔と言える鶴岡市出身の故渡部昇一先生の筆によって記しておきます。

庄内藩は幕府譜代の名藩で、幕末には、江戸市中取締りとして、騒擾の策源地と見なされた江戸薩摩屋敷焼討ちを敢行しています。東北戦争では勇戦し、秋田方面に出撃した庄内部隊は薩軍の主力に大打撃を与えました。それゆえに庄内鶴岡城の落城にあたっては、藩主も、重臣たちも、薩軍の報復と厳罰を覚悟しました。城を受け取るために鶴岡にやってきた官軍(西軍)の代表は黒田清隆でした。

〈彼は致道館の「お居間」(「お入りの間」ともいう)で帰順者の藩主酒井忠篤に降伏条件を言い渡した。もちろん黒田が上座で藩主は下座である。しかしこの儀式が終わると、黒田は藩主を上座に移し、自分は下座に廻り、その応接の態度は恭敬で、あたかも賓客を遇するが如くであった。そして降伏条件も、他藩の場合に例のない寛大なものであった。降伏した藩主や藩士らはいかなる処罰を受けるかと心配していたのであるが、思いの外の取り扱いに感激し、「これぞ王師である」と思ったのである。しかもこの指示が、黒田の背後にあって表に出てこなかった西郷から出たものであることを知り、全藩挙げて西郷の崇拝者になったのであった。その後間もなく、旧藩主忠篤は百人ばかりの藩士を引き連れて薩摩に行って、そこで軍事訓練を受け、庄内武士と薩摩武士はすっかり仲よしになった。〉(『現代語訳 大西郷遺訓』林房雄編/新人物文庫、渡部昇一[解説]より)

ちなみに、ここで「致道館」というのは、鶴ヶ岡城三の丸曲輪内にあった藩校のことで、令和の現在も「お居間」を見学することができます。「大西郷遺訓」とも「南洲翁遺訓」とも呼ばれる西郷隆盛の語録は、かような縁によって薩摩人ではなく、維新動乱における正面の敵であった庄内藩士の手によって書きとめられ、出版されたものです。

西南戦争前、西郷を慕って薩摩に赴いた庄内藩士たちが西郷の話を聞き書きし、明治22年(1889)年2月11日の「大日本帝国憲法」発布の日、明治天皇が西郷の賊名を解かれたとき、庄内藩家老で西郷と昵懇だった菅実秀が『南洲翁遺訓』の編纂を命じました。世に出たのは翌明治23年2月です。

靖国神社に「鎮霊社」という社があります。ここには西郷隆盛も、白虎隊も、戊辰戦争の佐幕派も祀られています。また明治政府は、佐幕派の戦没者についてそれぞれの地域で祀るのは構わないという太政官布告を出しました。戦は必ず敵味方に分かれる。明治政府が自らに付き随った犠牲者の遺族に対し、敵も味方も同じように処遇するとは人情からもすぐには云えることではありません。そこで政府は、我々としては味方を祀るが、戦において敵方になったとはいえ地域に尽くした人々を祀ることは構わないと表明したことは、情理にかなうものではなかったかと思います。

国家統治の正統性を保ちつつ、同胞相食んだ痼(こり)を解いてゆく―。近代国民国家建設の過程で生じた内戦と、その後の国内融和に苦悩した明治の人々の歴史が靖国神社にはあります。矛盾も不合理も抱えていますが、その経緯を少しでも知るならば、誰かを一方的に糾弾することなく、怨念や否定の感情を抑えて、その苦悩を共に抱きしめることが日本人の過去と未来のために必要な態度ではないかと私は考えます。

畑さんは、「会津は長州から何をされたのか」と「長州は会津から何をされたのか」の両方を問い、こう結論づけています。

〈われわれ日本人が自力で、全国範囲で根本的改革を成し遂げたもの、それが明治維新である。そしてその改革のエネルギー源となったのが長州・会津・薩摩の三藩だった。

結果的には、長州と薩摩は「順」の極端、会津は「逆」の極端をいったが、大局的には、この三者間の流血必至・正反合の闘いがなければ、明治維新は創生されなかっただろう。つまり、思想・立場・行動を異にするこの三者によって弁証法的に創造された成果、それが明治維新だったのである。〉

そして、〈萩も会津もたがいに先人の偉業を称え、その底にある強烈な個の自覚と主張こそ、この世の進歩の原点であることに思いをいたし、今、時空を越えて大らかに、誇り高く握手を交すべきではないだろうか〉と。

どの国にも「内戦」の歴史はあります。日本列島にもそこに生きる人々の戦いがありました。

司馬さんの『峠』から一文を借ります。

〈この列島は、当初、西南(九州)からひらけた。九州でそだったエネルギーが、しだいに北上して瀬戸内海、大阪湾沿岸、大和、びわ湖周辺におよび、やがて大陸から、国家のつくりかたというあたらしい概念が入ってきて、大化改新が成立し、日本民族が国家というもののなかで組織された。〉

日本人のルーツは一つではありませんが、長い歴史のなかで、それぞれ衝突と融和を積み重ね、概ね一つの民族国家として成り立っています。今日、一都一道二府四十三県という区分の中で「県民性」という特徴をそれぞれに持ちながら、総体として「日本人」であるという意識を共有していることは疑いないでしょう。この我が父祖たちが築き上げた「祖国」を、外来のイデオロギーやある種の進歩主義によって壊すことなく、次代に引き継いでいきたいものです。

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