2月20日、大阪府豊中市で開催された拉致問題啓発演劇「めぐみへの誓い―奪還」の公演に立ち合いました。「ライズ・アップ・ジャパン」会員で御来場くださった方々にもお目にかかれ、直接お話しすることができました。有難うございました。
私はその前日(19日)、沖縄県にいて中頭郡読谷村のホテルで〈「沖縄県民斯ク戦ヘリ」、本土はいかに応えるべきか〉と題して講演をしました。前々回のメルマガで「沖縄の基地問題とは何か」を書きましたが、沖縄と本土の関係を考える上で重要なのは、「閉ざされた言語空間」が忌憚のない議論を妨げていることです。
たとえば沖縄戦での住民の集団自決をめぐる教科書検定への抗議集会に11万人が参加という主催者発表の数字が独り歩きし、実際には4万人ほどだった事実を警察すら正式発表できないという現実――。そこからは、沖縄の本土に対する被害者感情、怒りと憎悪が増幅されるだけで、本土との不毛な対立感情しか生まないと思うのですが、沖縄のメディアはせっせとそれに励み、本土のメディアもそれに唱和する構造が続いています。
沖縄戦での住民の集団自決には「軍命令」があったと、いまもそう認識されている方が多いと思います。しかし、それは事実か。
平成25(2013)年7月、この問題に関する記事の新聞掲載をめぐってある判決が出されました。
作家の上原正稔氏が平成19(2007)年5月から琉球新報に連載した「パンドラの箱を開ける時」の中で、慶良間諸島での集団自決に触れた部分の掲載を拒否されたのは契約違反だとして訴えた裁判で、福岡高裁那覇支部は上原氏の訴えを一部認め、琉球新報に105万円の支払いを命じました。
沖縄戦での集団自決とは、昭和20(1945)年3月末、米軍上陸時の慶良間諸島(渡嘉敷、座間味両島)で計400人余の住民が手榴弾などで自決した事件で、沖縄タイムス社が昭和25年に発行した『鉄の暴風』において、それぞれの島の守備隊長だった赤松嘉次大尉と梅沢裕少佐の自決を強いる命令によって起きたとされました。それが「事実」として教科書などに記述され、独り歩きしてきたのです。
上原氏が掲載を拒否されたのは、当該連載〈第1章〉の第2話「慶良間で何が起きたか」で、上原氏は渡嘉敷島の集団自決を目撃した元米兵グレン・シアレス伍長の手記や、同じ場面を報じた1945年4月2日付ニューヨーク・タイムズの記事を引用し、日本側の記録や住民の証言をまじえながら、数十回の原稿に仕上げる予定でした。
上原氏は、連載の最終回で、掲載を拒否された第2話を要約した原稿を琉球新報に見せましたが、これも拒否されました。そこには、当時座間味島の女子青年団長だった女性が後に「梅沢少佐の自決命令はなかった」と告白した事実や、「遺族に援護法を適用するため、軍命令があったことにした」という元琉球政府援護担当者の証言を報じた産経新聞の記事(平成18年8月27日付)などが取り上げられていました。
実は、この上原氏の裁判の経緯を詳しく報じたのも、私が知る限りでは産経新聞(平成25年8月11日付【日曜に書く 封じられた集団自決の真実】)だけで、平成18年に同紙が伝えた「元琉球政府援護担当者の証言」に関する重要部分は以下のとおりです。
〈戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。〉
なぜ、この照屋さんの証言は広く世に伝えられないいのでしょう。
上原氏が掲載を拒否されたのは、当時琉球新報が「軍命の事実は消せない」(平成19年7月5日付社説)、「断固譲れない検定意見撤回」(同9月8日付社説)などと繰り返し文科省の教科書検定を批判していた時期と重なります。
〈「軍命がなかった」とする上原氏の原稿が同紙の検定批判キャンペーンに水をさすと考えたからではないか〉(【日曜に書く 封じられた集団自決の真実】)との見方に同感です。
私は、琉球新報や沖縄タイムスが「住民の集団自決は軍命令による」と主張することを封じ込めようとするものではありません。しかし、「軍命令はなかった、というのは断固認められない」「歴史の捏造だ」などと決めつけて、異なる意見、証言や事実の提示を封じ込めようとする態度は是認できません。
「ライズ・アップ・ジャパン」は、そうした「閉ざされた言語空間」に少しでも風穴を開けていきたいと思っています。
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