前回、石原慎太郎氏の『歴史の十字路に立って』の終章を御紹介しました。その中で氏は〈今の子供たちに何の脈絡もなく「愛国心を持て」と唱えることがいかに粗雑で短絡的であるかが、政治家のみならず多くの大人たちはわかっていないのではなかろうか〉と語っています。

そして、日本がかつて米国と戦争したことすら知らない若者の存在に驚愕した〝大空のサムライ〟坂井三郎さんの挿話を引いて、〈歪んだ戦後の歴史教育を立て直すためにまず取り組むべきは、ただいたずらに、声高に愛国を唱えることではない。他人事ではない、自分と繋がる存在としての坂井さんや鳥濱トメさん、塚本幸一さんのような日本人のいたことを子供たちに伝えることなのだ。この国の歴史や同胞のことを知らないという者がいなくなれば、その先にはじめて子供たちはこの国を愛したり嫌ったりもすることが出来るはずだ。男と女の仲と同じで、会う前、知る前から「惚れろ」と言っても無理なことに違いあるまい〉と。

昨秋、岡田准一さん主演で司馬遼太郎の歴史小説『燃えよ剣』が映画化されました。新撰組副長・土方歳三を描いたこの作品は過去に何度もドラマ化、映画化されましたが、土方の生涯に、日本人の琴線に触れるものがあるからでしょう。

幕末維新の動乱…戊辰戦争によって明治という時代は明けました。今日明治維新とは何であったのか、単なるテロリズムというような批判本も多く出され、それこそが「歴史の見直しだ」と喧伝する向きもあります。私は、歴史の事象には光と影があると思いますが、基本的に明治維新は「大業」であったと考えています。

明治維新を非難する人々も、祖国の歴史に全く無関心であるよりはましなのでしょう。歴史や同胞のことを知った上で、「惚れる」か「嫌う」かを決めればいい。とは云え、その歴史や同胞のことが後世に如何に伝えられているか。「歴史教育の立て直し」が必要なのは、先の大戦の勝者、占領者によって戦後に加えられた改変、日本弱体化のための歪曲をそのままにしてはおけないからです。

石原氏がよく口にしていた「垂直の情念」というのは、父祖の歩みを聢(しか)と受け止めることです。痛みも、哀しみも、愛おしさも、誇りも、屈辱も。そのうえで、「祖国」のイメージを己の内に打ち立てる。やや大袈裟ですが、戦後失われた祖国のイメージを取り戻す一つの試みとして、本メルマガで戊辰戦争(会津戦争)に少し触れたいと思います。

歴史は、それを織り成す人々がいる限り連続しています。今日でも「会津の長州への遺恨」は生きていると云われるのもそのためです。ではその内実は何か。そこに思い違いや誤解はないか。それがそのまま放置され、今日の私たちの認識が形成されているとしたら、それこそ、その時代に後世を思って心血を注いでくれた父祖たちの志を顧みないことになるでしょう。

以下は、先年求められてある雑誌に書いた原稿に少し手を加えたものです。3回に分けてお届けします。

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平成30年(2018)は、明治維新から150年の節目の年でした。同年1月22日の通常国会で、安倍晋三首相は施政方針演説の冒頭、旧会津藩の白虎隊出身で、維新後の明治4年(1871)に渡米、エール大学で科学を学んだあと、日本人初の理学博士となり、やがて東京帝国大学の総長になった山川健次郎の言葉を引いてこう訴えました。

「明治の先人たちに倣って、もう一度、あらゆる日本人にチャンスをつくることで、少子高齢化もきっと克服できる。今こそ、新たな国創りのときだ。」

その後、旧長州藩(山口4区選出)の安倍首相と、旧会津藩が地盤の希望の党の小熊慎司氏(比例東北)が、衆院予算委員会で明治150年をめぐって論戦を交わしたのは2月初めのことでした。このとき安倍首相は「官軍」「賊軍」の言葉を避け、「西軍」「東軍」と言い換えた上で、「西軍が正しくて東軍が悪いということではない」と戊辰戦争で新政府軍と戦って敗れた会津に配慮を示しました。

小熊氏はこうした安倍首相の姿勢を評価し、「明治150年、戊辰150年を機に、一般の方々が国のため公のため、どう頑張ってきたかしっかり紹介すべきだ」などと質したのですが、まさに首相が山川健次郎を取り上げたのは、今日の日本国民が様々な意見対立を乗り越えて一体となり、共に「国難」に立ち向かうために、その気概を改めて幕末維新の日本人に求めたかったからであろうと思います。

明治維新150年は、同時に戊辰戦争150年でもあります。戊辰戦争とは、慶応4年(1868)(戊辰)の1月から翌年5月にかけて倒幕派と佐幕派との間で行われた内戦で、鳥羽・伏見の戦い、上野の彰義隊の戦い、会津戦争、箱館戦争などを総称して云います。明治と改元されたのは慶応4年9月8日ですが、「明治」と「戊辰」、どちらを用いるかによってその歴史観は変ってきます。

我が国は、嘉永6年(1853)年のペリー来航以降、その進むべき道筋をめぐって大いなる動乱の時代に突入しました。260年余に及ぶ徳川幕藩体制の継続か、天皇を中心とした国民国家か…。どちらが過酷な帝国主義の圧力のなかで我が国の独立を全うでき得る体制なのか。

皇學館大学教授松浦光修氏の労作『明治維新という大業』(明成社)に、山川健次郎が明治37年に語った言葉が記されています。

「癸丑(きちゅう)・甲寅(こういん)〔注・嘉永6年と安政元年〕の歳より以来、国事に奔走せし者、たれか勤王の士ならざらん。ただ佐幕勤王と排幕勤王との差あるのみ。わが邦(くに)維新史の多くは、排幕勤王家の手になれるをもって、ことの真相をえざるもの、少なからず」(北原雅長『七年史』序)

――山川は何を言いたかったのか。〈幕末維新の頃、国事に奔走した者は、すべて「尊皇」という政治思想にもとづいて、命がけの行動をしていた。その点、自分たちも薩摩・長州藩とかわらない……。両者がちがっていたのは、幕府を存続させるか廃止するか、という点だけで、自分たちは、けっして天皇に逆らったわけではない。それなのに、今もそう思っている人々がいるのは、まことに心外である……。〉

松浦氏はこう解説し、〈その言い分は、まことに〝ごもっとも〟というほかありません〉と述べます。

たしかに会津藩は、尊皇の精神にもとづいて行動し、それに反したとは考えていません。それゆえに、なぜ「賊軍」の汚名を着せられねばならぬのか。

会津だけでなく、幕府側で戦って敗れた人々にとって、新政府軍(とくに薩長)への反感が維新後も長く残ったのは無理からぬものがあり(山川の言葉は、日露戦争開戦の年)、干戈(かんか)を交えた以上、そこには深い痛みが刻まれ、その記憶がある限り、新政府のみを正義として歴史が語られるとすれば、それに対する無念と異議申し立ては宜(むべ)なるかなでしょう。(続く)

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*平成27年(2015)にPHP研究所から発行された『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』に加筆、再刊しました。

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・令和4年2月1日〈石原慎太郎「天才の苦悩」と戦争体験〉

・同2月2日〈石原慎太郎はなぜ恐れられたのか〉