12月も半ばを過ぎ、皆さんの御多端も一入(ひとしお)だと思います。ちょっと体調を崩してしまい、メルマガの配信が滞ってしまいました。御寛恕ください。

戦後歴代5位の首相在任記録を持つ中曽根康弘元首相の死去が報じられたのは先月29日でした。101歳でした。

評伝のような話は新聞に任せるとして、生前「政治家はいずれ『歴史の法廷』に立つもの」と語っていた中曽根氏の「戦後政治の総決算」の禍根の一つを書き留めておきたいと思います。

昭和57(1982)年11月に「戦後政治の総決算」を掲げた第一次中曽根内閣が発足しました。

中曽根氏は就任後、昭和58年には春の例大祭、終戦記念日、秋の例大祭と3回、59年には4回も靖国神社に参拝し、靖国を重視する姿勢を示しました。

昭和59年7月には藤波孝生官房長官が私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)を設置し、靖国懇は計21回の検討会を開き、60年8月9日に「政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の、靖国神社への公式参拝を実施する方策を検討すべきである」と公式参拝を促す報告書を提出しました。

首相の公式参拝を主導した藤波官房長官は8月14日、公式参拝には憲法違反の疑いが否定できないとする従来の政府統一見解を変更し、「社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しない」とする談話を発表しました。周到な準備を経て翌15日、中曽根首相による公式参拝が実現したのです。全閣僚が参拝しました。

中曽根首相は「外国にも参拝の趣旨の理解を求めていく」と、戦後体制の抜本的見直しの行動に胸を張ったのですが、朝日新聞など国内のメディアが〝御注進報道〟をし、中国などが反発すると、以後の参拝をとりやめてしまいました。

中曽根氏はその理由として、改革派の胡耀邦総書記(当時)が中国国内で日本に強硬姿勢をとる守旧派、強硬派に攻撃されるのを避けるため、日中友好を考えて胡氏を支えるために参拝を控えたと述べましたが、そうした〝配慮〟は実を結ぶことなく、胡氏は失脚し、中国は日本を揺さぶる材料としての「靖国カード」を手に入れ、しかも、それがいかに効き目があるかを確認することになりました。

このとき藤波官房長官に代わって、中曽根政権で2度目の官房長官となっていた後藤田正晴氏は、東條英機元首相らA級戦犯の合祀にわざわざ言及し、「(前年の参拝は)近隣諸国の国民にA級戦犯に対して拝礼したのではないかとの批判を生んだ」「近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」と中国に全面的に譲歩した内容の談話を発表しました。

平成17(2005)年4月27日の自民党外交調査会で、王毅駐日大使(当時、現中国外相)が、中国政府と中曽根政権が「首相、外相、官房長官は今後、靖国に参拝しない」という〝密約〟を結んでいたと暴露しました。中曽根氏は即座に否定しましたが、内実はどうだったのか――。

さて私は、昭和61年の中曽根氏の「靖国神社公式参拝」の〝挫折〟について、藤波氏に内情を取材したことがあります。

藤波氏は当時、官房長官から自民党国対委員長に異動していました。「今年の公式参拝はだめなようだ」と知らせてきた渡辺秀央官房副長官に、藤波氏は「1回だけの公式参拝では『かつてそういうことがあった』という歴史的事実に過ぎなくなる。しかし、2回やれば『制度』になる。だから2年目の公式参拝をやるべきだ」と応じました。

渡辺氏は「やれない」と言い、藤波氏は、「やれる。倉成正外相を8月14日に中国に派遣して日本の意図を一生懸命説明することだ。一方で、公式参拝をやれば制度になる。ここで踏み切らざるを得ない」と返すのですが、この説得は官邸に通じませんでした。

「意地悪な推測ですが、やっぱり中曽根さんのお考えになっていた公式参拝というのは、戦後政治の総決算の中の一つの政策課題、通過点であって、追悼の誠を尽くす場を保守しようという心情は二義的なものではなかったのか。」

私がこう尋ねると、藤波氏は「どうなのか…、内面の真偽は断定できない」と断りながら、概略こう答えました。

「60年の公式参拝の直後、孫平化さん(当時中日友好協会会長)に『戦没者の親たちの多くが高齢を迎えているから参拝に踏み切ったんです』と説明したら、孫さんに『その事情は中国も同じだ。日本軍と戦って死んだ者の親たちも高齢を迎えてなお怒りと悲しみを抱えている』と反論された。

しかし、孫さんがそれで激怒して帰ったということではない。私が官房長官を辞めるときには長官室に来られて、『藤波さん、御苦労さまでした。今度中国に来てください。南のほうにはいい温泉があるからそれにゆっくり浸かって身体を休めてください」と有り難い言葉をかけてくれた。

そもそも靖国参拝というのは、国家としてきわめて内面的な問題です。慰霊におけるわが国の伝統文化や慣習を中国、韓国にきちんと説明するのが政治の大きな責任です。それこそ聞き飽きたと言われるぐらい説明して、それでも理解を得られなかったらそれは仕方がない。うろたえずに泰然としていればいいのではないですか。すぐに謝罪めいた言質を口にするのはみっともない。

ただ、かつての孫さんとのやりとりから考えても説明は可能だと思います。それを外交カードとして使われる愚はどこかで断ち切らなければいけない。」

藤波氏へのインタビューは、まだ氏が現役の衆議院議員だった頃で、それゆえ存分に本音を語ったとは言えないかも知れませんが、

「1回だけの公式参拝では『かつてそういうことがあった』という歴史的事実に過ぎなくなる。しかし、2回やれば『制度』になる。」

「うろたえずに泰然としていればいいのではないですか。すぐに謝罪めいた言質を口にするのはみっともない。」

と語ったのは本音だったと思います。

実は、中曽根氏は『正論』(平成13[2001]年10月号「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」)のインタビューで、

「戦争前、戦争中は、死んだら靖国神社に祀られると、国家は約束していたんですね。靖国神社は陸軍省、海軍省、内務省傘下の国家的施設であった。約束していながら、戦争に負けてから公式に一回も英霊にお礼をしていない。歴代総理大臣のなかには総理を名乗って行った人はいるけれど、公式に宣言して行った総理大臣はいない。だから公式に宣言して、一回は死んだ英霊に対して約束通りお礼に行かなくてはいけない。」

そう思ってやったことだと述べています。私の藤波氏へのインタビューはこれを受けたものです。

私が引っ掛かったのは、中曽根氏が参拝を「一回は」と回数を限定して語ったことです。そこには藤波氏のように公式参拝を続ければ制度になる、といった強い意志が感じられませんでした。

その後も中曽根氏の考えは変わりませんでした。平成25年(2013)末の安倍晋三首相の靖国参拝に対し、参拝当日の夜に収録された日本テレビの番組で、「国家のために死んでいった皆さんに対して国家を代表する総理大臣が頭を下げるのは道徳みたいなもので、私は、1回は公式参拝した。ただ、2回、3回は行く必要がないと考えた。安倍総理大臣も、2回、3回とは行かないのではないか」と語っています。

また、中曽根氏は問題解決の手段として、A級戦犯を分祀せよとも主張していました。

〈最近の日本外交の不振の一因に靖国問題が指摘されている。私は以前より靖国神社に合祀されている戦争責任者の分祀を主張している。(中略)この方策は予算も法律も不要で、神主の裁断で可能なことである。(中略)いずれにせよ、東アジア外交は対米外交と共に日本の死命を決する重大な政策であり、現状を打開して日本の活路を開くことは現代日本の政治家の重大責務であると確信する。〉(平成18年1月29日付読売新聞「地球を読む」)

政治指導者の負の遺産ばかりを論うのはフェアではないと思いますが、看過できないことは、できないと云うほかありません。「歴史の法廷」に立つ身を公言されていたわけですから、靖国神社参拝という父祖への慰霊行為を日中間の政治問題にしたばかりか、それまで存在しなかった「A級戦犯」問題を生み出したことなど、自らの政治判断によって国の名誉を損なったことについて、後世の日本人がどのように観るかは泉下で覚悟されているでしょう。

他国に対し、国家としての正当な主張を控えて政治決着することがいかに禍根を残すかという歴史の教訓がここにあります。

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・11月27日【Front Japan 桜】〈香港に『負けた』習政権が次に打つ手/偽善は人間を腐食させる〉

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