北京冬季五輪大会が間近になりました。
フランス下院はこの20日、中華人民共和国(中国)が新疆ウイグル自治区でジェノサイド(集団殺害)を犯していると非難する決議を採択しました。少数民族ウイグル族に対する中国当局のジェノサイドを仏政府が公式に認定し、非難するよう求めたものです。
ウイグル族への弾圧問題に関しては、これまでにカナダやベルギー、オランダ、チェコ、リトアニア、英国の国会がそれに言及した決議や動議を採択し、アメリカでは政府が新疆ウイグル自治区でのジェノサイドを認定しています。
さて、我が国はどうか。
中国の新疆ウイグル自治区などでの人権侵害に対する国会の非難決議に関しては、昨秋の自民党総裁選挙でも論点になり、岸田首相も「中国には言うべきことは言わなければならない」と語っていました。自民党は国会決議を2月1日にも採択する方向で各党と調整に入りましたが、その決議案は昨年末の自民・公明両党間の協議で、当初案にあった「人権侵害」が「人権状況」という文言に置き換わり、「非難決議案」から「非難」の文字が削除されました。「中国」という名指しもありません。
昨年末、北京五輪への政府関係者の派遣見送りを表明した際も、「外交的ボイコット」という表現は使わず、東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長らを派遣することにしました。
一方で岸田首相は、昨年11月に行われたアジア欧州会議(ASEM)では、新疆ウイグル自治区や香港の状況について「強く懸念している」、中国の海洋進出に対しても「現状変更の試みや緊張を高める活動がエスカレートしている。法の支配に逆行する動きもみられ、強く反対する」と述べました。事前に中国側から慎重な発言を求められたにも拘らず、岸田首相は中国に対する懸念をはっきり示したとして評価する向きもあります。
岸田首相はその後、「わが国として主体的な外交を展開する。『新時代リアリズム外交』を進めたい」(昨年12月の講演)と語りましたが、「新時代リアリズム外交」とはいったい何か。
習近平中国国家主席は、その威信を懸けて北京冬季五輪大会の成功を期しています。その後に待っているのは「台湾併呑」に向けて本格的に行動する可能性です。それを想定し、備えることが必要ですが、現状を見る限り、岸田首相にその意識と緊張感は薄いと云わざるを得ません。2014年のソチ冬季五輪直後に、ロシアがウクライナのクリミア半島併合に乗り出したことを思い出します。
22日のシンポジウムに御登壇くださる織田邦男元空将が〈台湾版「ハイブリッド戦争」抑止を〉(令和4年1月12日付産経新聞【正論】)でこう述べています。
〈歴史のアナロジーからすれば北京五輪後は要注意だ。(略)現在、ロシアがウクライナとの国境に10万を超える軍隊を展開させ、予備役まで動員しているのも気になるところだ。台湾有事に連動すれば悪夢に違いない。〉
〈中台だけの戦いであれば、明日にでも台湾の空中、海上封鎖は可能である。だが米軍を考慮すれば、今年中に台湾武力併合が可能とは言い難い。可能性があるのは、ロシアがクリミア半島併合で実施した「ハイブリッド戦争」であろう。ハイブリッド戦争とは「高度に統合された設計の下で用いられる公然・非公然の軍事・非軍事・民間の手段を使った戦争」(NATO)である。〉
ロシアはクリミア侵攻に当たって如何に周到なハイブリット戦を展開したか。
〈ソチ五輪閉会式の4日後、突然テレビもラジオも使えない、インターネットも電話も不通、クリミア半島の住民に、何が起きているのか皆目見当がつかない状況が生起した。さしたる戦闘もないまま正体不明の軍人によって、議会、行政施設、メディア、通信施設、空港などが占拠され、外部情報は遮断された。ウクライナ本土との交通も遮断され、クリミア半島は離島と化した。
次なる登場人物は軍人ではなく、住民、煽動(せんどう)家だった。親露派勢力の煽動が始まり、自治政府の解散、ロシアへの併合を求める住民運動が起きる。3月16日には、住民投票が強行され、9割の住民が「独立と併合」に賛成。ウクライナ東部でわずかな戦闘はあったものの、たった3週間で人口約250万人、九州の7割にあたる2万7000平方キロのクリミア半島が事実上、無血併合された。〉
これと同じことが台湾で展開されないという保証はありません。
〈台湾は島であり、孤立しやすく脆弱である。海底ケーブルは3カ所で陸揚げされており、切断されればインターネットの95%は使えなくなる。加えて衛星回線が妨害されれば完全な情報鎖国となる。不安に陥った住民は、親中派の煽動やデマに流されやすくなる。住民に敗北主義が蔓延すれば親中政府が樹立され、住民投票で台湾併合が可決されかねない。台湾版ハイブリッド戦争であり、日米は為す術を持たない。〉
織田さんと同質の危機意識が岸田首相に、我が国の政界にあるか。官界や経済界、マスメディアにあるか。安全保障は一国のすべての活動の基盤です。
現在の中国が、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ならばいいのです。存在しない危機を煽るのはよくない。しかし、チベット、ウイグル、南シナ海、香港の現状を見れば、中国の脅威は存在し、現実に作用しているのは明らかです。
昨夏の東京五輪に際し、日本のメディアの多くは、コロナ禍を理由に否定的・懐疑的な報道や論調を繰り広げました。北京大会間近となった今、同様の報道、論評が中国に対しなされているかと云えば、それは見られません。自国の大会には否定的な反応をしながら、中国の大会にはむしろ後押しの空気が醸成されているように見えます。
男子体操界のキング、内村航平選手が現役引退をしましたが、彼が東京五輪開催への懐疑論に対し「できないのではなくて、どうしたらできるかを皆で考えてほしい」と語ったことを思い出します。
メディアの温度差一つとっても、「高度に統合された設計の下で用いられる公然・非公然の軍事・非軍事・民間の手段を使った戦争」における日本の敗勢が現れていると見るのは穿ち過ぎでしょうか。
明日のシンポジウム、新型コロナウイルスの感染対策をした上で開催します。ネット配信での御参加も含め、各位が関心を持ってくださることを願います。
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