少し涼しくなりましたね。台風の襲来が心配ですが、皆さんが御健勝でありますように――。

さて、8月15日付の『朝日新聞』社説は、「8・15 戦場の記憶 時を超え、痛みを語り継ぐ」と題し、こう述べました。

〈満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。

そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。〉

この一文に出てくる「アジア太平洋戦争」とは何でしょう。『大辞林』(第三版)ではこう説明しています。

〈1931年の満州事変に始まり、日中戦争・太平洋戦争を経て1945年の敗戦に至る日本の一連の対外戦争の総称。これらの戦争を一連の不可分一体のものと考え、日本がアメリカとの戦争のみならず、中国・アジア諸国に侵略戦争を行なった意味をこめた呼称。一五年戦争。〉

今春の大学入試センター試験の日本史の問題でも「アジア太平洋戦争(太平洋戦争)」の表記が使われました。教科書における学習指導要領上の戦争呼称は「我が国にかかわる第二次世界大戦」ですが、実際の教科書では〈日本はアメリカ・イギリスに宣戦を布告し、第二次世界大戦の重要な一環をなす太平洋戦争が開始された〉(文部省検定済教科書/高等学校 地理歴史用『詳説 日本史B』山川出版社、2017年発行)のように、米国側の呼称「太平洋戦争」が多く使われています。

山川版は「脚注」に〈対米開戦ののち、政府は「支那事変(日中戦争)を含めた目下の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことに決定し、敗戦までこの名称が用いられた〉と小さな文字で記しているのですが、いかにも言い訳めいた扱いで、「我が国の歴史」を学ぶという立場でないことが感じられます。

さらに、〈「日本が侵略した地域がアジア地域から太平洋地域にまで及んでいたことを示す」などと注釈を付けた上で「アジア太平洋戦争(太平洋戦争)」と併記している〉教科書もあるようです(平成31年1月30日付『産経新聞』都内版)。

朝日新聞の「終戦の日」の社説で「アジア太平洋戦争」の言葉が用いられたのは初めてではないかと思います。翌8月16日付の社説「戦没者の追悼『深い反省』受け継いで」にも〈自国だけでなく他の国々、とりわけアジア太平洋諸国に与えた損害と苦痛を忘れない〉という表現があり、朝日は「大東亜戦争」を「侵略戦争」と断じた上で、「侵略した地域がアジア地域から太平洋地域にまで及んでいたこと」を強調したいのでしょう。

〈侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実〉を忘れるな、と朝日は主張するのですが、大東亜戦争を「侵略と植民地支配」という言葉のみに括って、あの戦争が世界史に映し出す多様な面――日本の主張――を汲むことがないのが朝日の特徴です。

被占領時代の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲の実態を明らかにした江藤淳は、平成8(1996)年に復刊された『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫)のあとがきにこう記しました。

〈戦後の日本人は、過ぐる大戦とそこに至る日本の近現代史について、いまだに自分の言葉で語り始めていない。〉

いまだに自分の言葉で語り始めていない――この状況は、私には、四半世紀近く経っても少しも変わっていないように思われます。「アジア太平洋戦争」などと造語する前に、忘れてはいけないこと、忘れさせられてはいけないことがある、ということを思い出したか。

大東亜戦争に関わることは、事実関係の精査は不要とばかりに、父祖の加害行為を認め続けることが「歴史を学ぶ」「過去を反省する」態度とされ、それは一方的だ、おかしいではないかと声を上げると「反省が足りない」「いつか来た道」という声との葛藤が生じる。そうした葛藤自体はよいとして、問題なのは、その葛藤そのものが「自分の言葉」によってなされているかどうか疑わしいことです。

『戦艦大和ノ最期』という本があります。今日、講談社の文庫に収められたこの一冊は、昭和20(1945)年4月7日、日本海軍最後の水上部隊として沖縄特攻を敢行し、坊ノ岬沖に潰えた戦艦大和に乗り組んでいた吉田満少尉(当時)によって戦後すぐに書かれました。

山岡荘八は、戦艦大和の最期について〈さまざまな人々が、あるいは愛情をこめ、あるいは報告体で、あるいは無謀な大量自殺という憤りを匂わして書き残している〉(『小説 太平洋戦争』)と記しましたが、その原点と評されるのが『戦艦大和ノ最期』です。

同書は、それに感銘を受けた小林秀雄が自ら編集した雑誌『創元』に掲載しようとしましたが、GHQの検閲により掲載禁止にされました。ようやく独立回復後の昭和27(1952)年8月30日、「占領下七年を経て全文発禁解除」と帯を付され『戦艦大和の最期』として創元社から発行されたのですが、内容は小林秀雄が読んだ初出とは異なっていました。

江藤淳によれば、同書は作者のノート、初出、筆者本、『小説軍艦大和』、創元社版、現行流布版(講談社文庫)の6種類があり、その間に吉田自身の言葉がいかに書き改められていったかが明らかにされています(『一九四六年憲法―その拘束 その他』文春文庫、平成7年刊。以下『拘束』)。

最も問題なのは末尾の変更で、現行版では、

〈徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米

今ナオ埋没スル三千ノ骸(むくろ)

彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何〉となっているのですが、初稿では、

〈……サハレ徳之島西方二〇浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨體(きょたい)四裂ス 水深四三〇米

 乗員三千餘名ヲ數(かぞ)ヘ、還レルモノ僅カに二百數十名

 至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ〉と綴られていました。

江藤は、米留学中にプランゲ文庫で発見した「初出テクスト」は〈検閲の爪痕をとどめた一次史料〉であると同時に〈作者が渾身の力をこめて書いた散文詩体の戦闘記録という点で〝真実〟そのものと考えられ〉、〈「事実・虚構・真実」のあいだの微妙な相関関係を考える上で、『戦艦大和ノ最期』の異本照合ほど恰好の作業はない〉と判断しました(『拘束』)。

そして、彼は学生たちに「初出テクスト」と口語体の『小説軍艦大和』、現行流布版の3種を読ませ、所感を記したレポートの提出を求めました。ある学生の感想はこうです。

〈なによりも初出は生の戦場により近いものであり、戦争の現場に近い作品であるが、現行版は戦後著者が客観視した戦争を描いたものだという相違がある。(略)そして現行版は〝文学的〟に変形することによって生き残ったものといえる。この〝文学的〟を事実に虚構を加えたものと規定すれば、現行版で作者はどのような虚構を加えたのだろうか。それは先にも述べたように、戦後作者が戦争というものを客観的に眺めてしまった結果生じた「戦争を二度と起してはならないという道徳観」ではないだろうか。(略)

現行版がより〝文学的〟だというのは、著者の本来の意図ではなく圧力によって〝文学的〟にさせられたのである。初出が検閲によって不許可になったために、事実に虚構を加えて人道的にすることによってやむを得ず出版されたのが決定版であるとも考えられるのである。〉

別の学生はこう記しました。

〈吉田氏は決して戦争に対する嫌悪をも賛美をもこの中で表明していない。彼の文中に流れる自分の使命を果したことに対する(矛盾するようだが)誇らしさと、かといって決して事実を歪曲することのないみごとなあれくるう戦火の描写にはただただ圧倒されるばかりだが、その背景にある確固たる彼の当時の〝自己〟の存在に僕は感動する。そこには戦争を賛美するだの○○するだのという小賢しい逃げの態度はみじんもなく、戦争を全身でうけとめてその中で自分の義務を完全に果してゆく一人の実存がある。〉

学生たちの感想は、今日においても戦争について語られる〈「事実・虚構・真実」のあいだの微妙な相関関係〉を考える上で非常に示唆的です。「戦争を二度と起してはならないという道徳観」は、いまや誰も抗えない。数字やデータを並べて学術的に日本の戦争を検証したという類の本も同様の視点が強調されています。

しかし、今日的な価値観、人権観、生命観をもって〝あの時代の日本人〟を描くこと、今日的な価値観に引きつけて「戦場の現実」を描くことになにがしかの恐れがないとしたら、私はそこに後世の、平和な時代の高みに立った者のある種の驕りを感じざるを得ないのです。個人的な感情を吐露すれば、敗戦という結果から、父祖たちが命懸けで戦った戦争を愚劣、無謀とだけ決めつけるのは卑怯だとも感じてきました。

大和轟沈に際し、艦長附のある少尉の死について吉田満はこう綴りました。

〈舷側ニテ兵ヲ救ハントシ、鼓舞叱咤、ソノ職ニ斃レ、ソノ任ニ殉シタルヤ

如何ニ彼、死ニ挑ミ、正對(せいたい)シ、戰ヒ、ソコニ至リ、獲チ得、カクシテ生ヲツクシ、生ヲ全ウシタルヤ〉

これは今日では勇壮な戦記ものに回収される単純な一コマとされるのか。否、〈戦争を全身でうけとめてその中で自分の義務を完全に果してゆく一人の実存〉と受け止めるのか。この感覚を喪失してしまっては、父祖たちの戦争が抱えた諸々を「自分の言葉」で語り始めることはできないように思います。民族の歴史において戦争が刻む「悲惨」と「悲劇」は違うのだということもわからない。

〈およそ人と国が生き続けようとするとき、逃れることのできぬ条件である葛藤の自覚をもまた、占領軍の検閲は、丹念に拭い去ろうとした。ここから逆算される日本の戦後文学の特質が、過去の否定または、〝進歩的〟過去のみの再確認、葛藤の無視または〝階級的〟葛藤のみの容認を主流とするものになっていったことは、あまりにも当然といわなければならない。〉(『拘束』)

江藤の言葉の内、「戦後文学」は「戦後歴史学」や「戦後メディア」などに置き換えても違和感がありません。朝日の「過去を反省しろ」「加害の歴史を忘れるな」云々の主張には、「葛藤の自覚」がなく、東京裁判史観という勝者が与えた視点から日本を第三者的に突き放して見ているだけなのです。(この項つづく)

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