74回目の終戦の日を迎えた8月15日、令和で初めてとなる政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、天皇、皇后両陛下の御臨席のもと、安倍晋三首相や全国各地の遺族ら計約7千人が参列しました。

今年5月に即位された天皇陛下と、皇后陛下はお二人とも戦後生まれで、初めての式典御臨席となりました。天皇陛下はお言葉で、上皇陛下が平成27(2015)年から使われた「深い反省」という言葉を引き継がれ、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられました。

安倍首相は、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは、令和の時代においても決して変わることはありません。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります」と述べました。

さて、式典会場の日本武道館と目と鼻の先に、創建150年を迎えた靖国神社があります。幕末以降の国に殉じた246万柱の御霊が祀られ、そのうち213万余は大東亜戦争に殉じた軍人・軍属です。

安倍首相は今夏も参拝せず、自民党総裁として玉串料を奉納しました。名代として参拝した稲田朋美総裁特別補佐に「我が国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた御英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する」との言葉を託したそうですが、安倍政権の閣僚の参拝は3年続けてなく、「日本を、取り戻す。」と訴えて平成24(2012)年12月に政権復帰後、今日に至るまでの6年半余を眺めてみれば、安倍首相と閣僚諸氏の気概の減退、現状追認政策の肯定という姿勢を批判せざるを得ません。

7月の参議院選挙で自民、公明両党は過半数を得て、国会での安定基盤を確保しましたが、これは国民が政権与党に白紙委任状を渡したわけではありません。「安倍政権に代わる受け皿があれば」と願った国民は少なくない。しかし現実の野党にそれを見出だせなかった。立憲民主であれ、国民民主であれ、いずれも安倍政権より当てにできるとは思えない。彼らに任せては、より日本は危うくなるのではないか、と多くの国民が判断した結果だろうと思います。

配信中の「ライズ・アップ・ジャパン」8月号でも述べましたが、 安倍政権と自民党を支持したとしても、それは野党があまりに頼りないから「よりマシ」であることを自民党に期待したのであって、改正入管法の施行、消費税の増税、グローバル経済への傾斜と「国富」を守るという視点を欠いた公営事業の民営化、外資による国内不動産の買収等が進むのを看過するような現状を全き是としたのではありません。

北朝鮮の核・ミサイル問題や拉致問題での米国頼みの姿勢、ロシアとの北方領土交渉における日本側の原則の揺らぎ、中国への宥和姿勢の危うさなど、〝あるべき安倍批判〟は外交内政ともに少なくないのです。安倍政権と自民党に政策転換を促すことは、同党に一票を投じた有権者の権利です。

自民党内であれ、あるいは野党であれ、安倍首相を押し退け、「日本(の名誉と国益)を取り戻す」ためにより固い覚悟を持ち、そうした政策を打ち出す人物、勢力が出現すれば(日頃から準備していなければ無理ですが)、「アベ政治を許さない」などという空騒ぎではない、現実味を帯びた政治の転換が可能になるでしょう。

その意味で、フジテレビの参議院選挙特番「Live選挙サンデー」(7月21日)で放送された石原慎太郎氏と亀井静香氏の対談は面白いものでした。亀井氏が「(安倍)一強じゃないんだ、一弱なんだよ」と云い、それに石原氏が「安倍くんが一強というけれど、一国の最高責任者、要するにトップのリーダーから強いメッセージが出たことがあるかね」と応じたのは云い得て妙でした。その弱いリーダーに立ち向かえない野党はさらに不甲斐ない、ということです。

私はここ数年「平成の青嵐会よ、出でよ」と云ってきたのですが、令和にそれが期待できるか――。

「青嵐会」というのは、昭和48(1973)年7月、自民党の派閥横断的に結成された衆参の保守派議員31名からなる政策集団のことです(中川一郎、藤尾正行、渡辺美智雄、中尾栄一、石原慎太郎、玉置和郎、森喜朗、浜田幸一らが参加)。

「青嵐」とは寒冷前線の意味で、「夏に激しく夕立を降らせて、世の中を爽やかに変えて一気に過ぎる嵐のこと。我々のこの会の使命もそういうこと」という決意から石原氏が命名しました。設立趣意書には「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」と記され、石原氏の提案で青嵐会に参加する者はみな名簿に血判を捺しました。大時代的と嗤(わら)うなかれ。

「右、実践する」とされた趣意書にはこう書かれていました。

一、自由社会を守り、外交は自由主義国家群との緊密なる連携を堅持する。

二、国民道義の高揚を図るため、物質万能の風潮を改め、教育の正常化を断行する。

三、勤労を尊び、恵まれぬ人々をいたわり、新しい社会正義を確立するために、富の偏在を是正し、不労所得を排除する。

四、平和国家建設のため、平和は自ら備えることによってのみ獲ち得られるとの自覚に則り、国民に国防と治安の必要性を訴え、この問題と積極的に取り組む。

五、新しい歴史における日本民族の真の自由、安全、繁栄を期するために自主独立の憲法を制定する。

六、党の運営は安易な妥協、官僚化、日和見化の旧来の弊習を打破する。

当時、マスメディアの多くは「青嵐会」を冷笑的に見て、「自民党のタカ派集団」「極右集団」などと批判しました。青嵐会は自民党結党から18年目に生まれたわけですが、時の総理大臣は田中角栄で、青嵐会の目的の一つは「(田中首相の)金権政治打破」にありました。

戦後政治を振り返ると、佐藤栄作政権によって小笠原と沖縄の米国からの返還が実現し、戦後処理は大きな区切りをつけました。復興から高度成長へと日本経済は米国に次ぐ規模(国民総生産[GNP]が世界第2位になったのは昭和43[1968]年)を持ったことで、佐藤政権までの歴代政権が取り組んできた「国家としての日本」の回復と、戦後の国際秩序の中で日本が生き残っていく道を模索する政治意識は薄れ、あるいは忘れられ、田中首相の頃から、成長を続ける経済がもたらす利益をいかに配分するかが政治の主目的になりました。

政治そのものが矮小化、空洞化し、自民党が結党の理念を置き去りにしたとき青嵐会は登場した。といえば単純化しすぎですし、田中角栄がそれだけの政治家であったわけでもありませんが、田中氏がつくりかえた自民党政治のシステムは、氏の下にあった政治家たちの国家観、歴史観をさして問うことも、鍛え上げることもなく、彼らを矮小化し、国内における利益配分の手続きに長けることを目的とさせたのは否めないでしょう。

戦後政治の流れにあって、名実ともに主権国家としての独立回復を実現することが、佐藤政権以後の政権の使命であったはずです。その後、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘首相の5年近くに及ぶ政権がありましたが、これも「主権国家としての独立回復」をめざすには程遠いものでした。

竹下登政権の終わりに平成に御代替わりし、バブル経済の泡沫(うたかた)に浮かれ、日本の政治は平成5(1993)年の「55年体制」の崩壊とともに、以降何一つとして主体的な選択をしてこなかったのではないかと思います。

曲折あって自民党、民主党という二大政党の時代を迎えましたが、自民党も民主党も「日本は変わらなければならない」と主張し、両党の競い合いは、云ってみれば、どちらが「改革」の担い手にふさわしいかというものでした。「主権国家としての独立回復」を果たしていない国が、一体何を改革するというのか。

戦後政治の流れについては、いずれじっくり語ってみたいと考えていますが、そうした国家としての漂流に終止符を打つべく登場したのが安倍晋三氏の第一次政権です。安倍氏は、はっきり「戦後レジームからの脱却」を言葉として発し、それを掲げました。

その政権が1年足らずで墜落し、政権復帰をめざした言葉が「日本を、取り戻す。」でした。安倍氏は、第一次政権が斃れたとき、自民党内にも味方はわずかだと痛感したでしょう。保守派は乾坤一擲(けんこんいってき)の内閣が誕生したと思いましたが、その歴史的意味は多くの国民が理解するところとはなりませんでした。国民の多くはあのとき「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍氏を見捨てたのです。

政権復帰後、安倍氏は「一強」と云われ続けていますが、私はそうは見ていません。安倍氏は恐らく、「自分が挑むことは不十分に終るだろう。多くの一般国民がイエスと頷く範囲のことしかできない」と考えているはずです。「安倍売国」の批判が保守の側から発せられています。実際の政策を見れば、この批判には根拠があります。

しかし…保守派ではなく、一般の国民の意識はどうか。その国民の中にはグローバリストも、公明党支持者もいるわけです。ここが問題なのです。保守の側が認識すべきは、現実には自分たちは大勢を占めていないということです。

平成19(2007)年7月の参議院選挙に大敗したことで第一次安倍政権は退陣を余儀なくされたのですが、選挙前の6月に発表された「骨太の方針二〇〇七」に、前任者の小泉純一郎首相が強く推し進めた「構造改革」という文字はありませんでした。

「『構造改革』の旗が消えた」(朝日)

「参院選を控えて骨太方針の改革色は後退した」(日経)

「改革の指針たり得るのか」(産経)

各紙がこう安倍氏を批判したように「構造改革」やグローバリズムに対する考え方は、朝日から産経まで大差なく、このとき「構造改革」の負の面に気づいていた安倍氏の政策転換の姿勢を支持したのは少数でした。これがマスメディアの実際であり、それによって国民の多くも判断したことでしょう。

また、河野洋平、後藤田正晴、野中広務、加藤紘一、山崎拓といった自民党内のリベラル派の実力者に異を唱えた若手時代の安倍晋三、中川昭一らを知る者からすると、単純に「安倍売国」と決めつけられない、安倍以前に発する自民党政治の強固な流れを見ないわけにはいきません。

ただ、ここで安倍氏の内心を推し量っても現実には意味がないのは、政治はつまるところ「結果責任」だからです。正直に云えば、私が願望から安倍氏を見ている面は否定できません。インタビューや対談など直接氏と話しをした経験から抱く心情もあります。

それを率直に認めた上で願望を重ねるならば、「祖国に尽くす」という健全な野党が存在しない現下の政治状況を考えたとき、自民党内に「反安倍」というよりも、安倍氏を超え、より国益と国威(名誉)を守ろうと挺進する有志が澎湃(ほうはい)として現われてほしい。「安倍一弱と不甲斐ない野党」の構図をぶち壊す――そんな旗を掲げ、そこに集う者が鬨の声を上げる。

これを石原慎太郎ふうに云うと、「次の青嵐はいつ吹くのだ」。

――結局、何を云いたいのか…シェークスピアならぬ私の「夏の夜の夢」噺にお付き合いさせてしまい恐縮至極です。

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