74年前の今日(昭和20[1945]年9月2日)、日本は東京湾上の米戦艦ミズーリ艦上で大東亜戦争(第二次世界大戦)の降伏文書(Instrument of Surrender)に調印しました。日本側は重光葵(しげみつ・まもる)外相が全権として天皇と日本政府を代表し、梅津美治郎(うめづ・よしじろう)参謀総長が大本営を代表して署名し、連合国側は、マッカーサー連合国最高司令官が米、英、ソ、中の四カ国を代表し、併せて日本と戦争状態にある他の連合国のために署名しました。

今日の教科書や新聞報道の短い記事では、「日本は連合国に無条件降伏した」というように書かれ、その認識が定着した感がありますが、降伏はポツダム宣言に基づくもので、第5条に「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」とあるように、日本は彼らに示された条件を受諾して降伏しました。

同宣言第13条に「吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス」とあります。彼らが求めたのは「全日本国軍隊ノ無条件降伏」であって、日本国家の無条件降伏ではありません。

日本政府と昭和天皇は、ポツダム宣言を「有条件講和」の提議であると認識し、一種の条約締結というかたちで戦争を終結できると判断した結果、最終的に8月14日「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」との詔勅が発せられ、翌15日の玉音放送となったわけです。

日本人が「日本は無条件降伏した」と思い込むようになったのは、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策、とくに検閲と情報操作による影響が大きいのですが、それについては本メルマガでも追い追い書いていきます。

今回は、降伏文書に署名した重光葵という人物について書きます。重光は明治20(1887)年大分県に生まれました。東京帝大を出て外務省に入り、駐ソ大使、駐英大使、駐華大使などを歴任し、東条・小磯・東久邇内閣の外相をつとめました。

昭和16(1941)年8月、時の近衛文麿首相がルーズヴェルト米大統領との首脳会談を望んで焦燥の日を送っていた頃、当のルーズヴェルはチャーチル英首相と会談し、大西洋憲章に署名しました。そこには「領土不拡大」「通商・資源の均等開放」と並んで「民族自決の原則」が謳われましたが、チャーチルは臆面もなく民族自決の原則はイギリスの植民地に対しては適用されない、インドやビルマは例外であるという態度を取り、英議会でもそう答えていました。ルーズヴェルトも「大英帝国の問題」として異を唱えず、白人によって切り分けられた植民地という名のケーキはそのままでした。

重光は、この大西洋憲章の「利己と矛盾」、欺瞞をついて大東亜戦争に「アジア解放」の理念を明瞭に掲げようとしました。昭和18(1943)年4月末、駐華大使から東條内閣の外務大臣に就任した重光はこう訴えます。

〈大戦争を闘う日本には、戦う目的について堂々たる主張がなければならぬ。自存自衛のために戦うと云うのは、戦う気分の問題で、主張の問題ではない。東亜の解放、アジア復興が即ち日本の主張であり、戦争目的である。公明正大なる戦争目的が、国民によって明瞭に意識し理解せられることによって、戦争は初めて有意義となり、戦意は高揚する。また若し、戦争の目的さえ達成せられるならば、何時にても平和恢復の用意があるわけであるから、戦争目的の高調及び限定は、平和恢復の基礎工作となるわけである。且つ、かような戦争に乗り出した以上、中途半端で如何にすることも出来ぬ。犠牲に犠牲を生んで行くことは止むを得ぬ。ただ、人としても、国家としても、自ら至善なる本体を見出すことは、大なる力であって且つ神聖なる仕事である。これによってこそ、たとえ戦争の結果は如何であっても、国として人として将来が立派に見出されるのである。〉(重光葵『昭和の動乱』) 

そもそも重光は、「日本自身の破綻になることが余りに明瞭である戦争への突入を、最後の場面においても阻止する努力をしなければならぬ」と考え行動した外交官です。

しかし、戦うことに決した以上、今度は「堂々たる主張がなければならぬ」と覚悟を固め、さらには、この戦いに敗れた場合、日本の戦争には「アジアの解放と独立」という歴史的意味があったことを戦勝国の掲げる正義に対置する必要があると考えました。

この重光構想に共感した東條英機は積極的に共栄圏外交を展開し、昭和18年8月1日にビルマを、10月14日にフィリピンの独立を承認して同盟条約を結び、同23日に自由インド仮政府を承認、30日に汪兆銘政権と同盟条約を結ぶという大急ぎの外交作業となりましたが、同年11月5日、6日の大東亜会議に結実したのです。

そこで発せられた大東亜共同宣言の骨子は、「共存共栄」「互助敦睦」「伝統尊重」「経済発展」「人種差別の撤廃」でした。

戦後、戦勝国が東京裁判で日本を断罪するのに使った「民主主義対全体主義」という図式の中で、戦時日本の行動は悉く「侵略」と非難され、大東亜会議の評価も「アジアの傀儡を集めた茶番劇」として黙殺されましたが、それは大東亜会議に集った指導者の存在を軽視し、戦勝国の正義に合致しない事実を封じ込める態度でした。

重光は、「かような戦争に乗り出した以上、中途半端で如何にすることも出来ぬ。犠牲に犠牲を生んで行くことは止むを得ぬ」と云いました。犠牲に犠牲を生んで行く、とは今日的価値観からすれば、まさに愚かな、無謀な戦争ということになるでしょう。しかし、それに挺身してこそアジア諸国は暗黙のうちに日本の戦いに「偉大な敗北」を見出し、志潰えぬ国の人々は自ら起って白人列強に立ち向かい、独立への歩を力強く進めるに違いない。

重光は、勝敗を超えた戦争の意味をそこに見ていました。そしてそのことは、戦場に散った多くの若者たちも暗黙に承知していたように思います。一個しかない己の命を何のために散らせるのか。本メルマガで再々取り上げている山岡荘八は戦争末期の一景をこう綴っています。

〈もはや完全に日本軍は負けているのだ。したがって自殺行為を少なくするためには条件のいかんは問わず、終戦に導くべきだという理性に通ずる。

ところが、一方にはそうした計算を愍笑(びんしょう)する感情の奔流もあった。いや、決してこれも感情だけのものではない。仮りに鹿屋の飛行場で、特攻の出番を待っている若者たちに、

「――それは自殺行為だ」

 などと云ったら、彼らは、苦笑して首を振ったに違いない。私自身、それに近いことを云って、愍笑されたことがある。

「――日本人という人間の生きているのは、今日、只今だけではない。永遠ですよ」と。そして、その学鷲は私に「――往生」という言葉の意味がわかるかと問い返して来た。〉(『小説太平洋戦争』)

 日本の永遠を信じて往く――。こうした若者たちを歴史の中に持ち得た我々は、しかし今日その行為を狂気の沙汰と貶め、父祖の「偉大な敗北」を抱きしめず、「アホな戦争」「自爆戦争」、さらには近隣国に多大の損害と苦痛を与えた「侵略戦争」と決めつけ突き放している。しかし、ここに世界史を俯瞰する視点を持ち込めば、それほど単純な結論にはなり得ないでしょう。

19世紀に至るまでヨーロッパ諸国は植民地経営という名の侵略戦争を続けていました。15世紀以降の地理上の発見とともにヨーロッパ諸国がアフリカ、アジア、南北アメリカで行った植民地の収奪で、その征服欲が頂点に達し、世界の分割がほぼ完了したのが19世紀です。シナのアヘン戦争、インドのセポイの乱などは、すべてヨーロッパ人の支配に対する非ヨーロッパ人の戦いで、それを武力鎮圧したヨーロッパ人の冷酷な徹底ぶりは、狩猟感覚の虐殺と変わりないものでした。

有色人種への残虐が当たり前に行われた時代が続いた結果、19世紀末までに日本などわずかな例外を除いて地球上のほとんどすべての地域がヨーロッパ人の支配下に置かれました。アフリカの分割は完了し、南北アメリカから原住民の王国は消滅し、アジアも英領インド、英領ビルマ、英領マレー、仏領インドシナ、オランダ領スマトラ、オランダ領ボルネオ、オランダ領ジャワ、米領フィリピン、ドイツ領ビスマルク諸島となり、オーストラリアはイギリスが獲得しました。こうした弱肉強食の帝国主義の時代に、幕末の我が父祖は開国を迫られ、その荒波に乗り出していかざるを得なかったのです。

いかにも日本は大東亜戦争でビルマやマレー、インドシナ、フィリピンなどを戦場にしました。そこで現地の多くの人々を戦火の巻き添えにしたことは事実です。けれども、日本は現地の人々を敵として銃口を向けたわけではない。そこに居座っていたヨーロッパと、アメリカと戦ったのです。

大東亜戦争の歴史的意味は、戦前日本の歩みを無謬にするものではありません。父祖の苦闘に対する愛惜の念のない総理大臣談話とは別の視点から「国策の誤り」を検証することは不可欠ですが、そのためには「禁忌なき言葉と自由な思考」を取り戻さなければならない。それなくしての検証、反省は、結局東京裁判史観に囚われることになると考えます。

重光葵は、降伏文書調印の署名を行うに当たってこう詠みました。

願くは 御國の末の 栄え行き

我が名さけすむ 人の多きを

「犠牲に犠牲を生んで行くことは止むを得ぬ」とまでの決意で戦った大東亜戦争の降伏署名をする自らの無念に、後世の日本人を信じて祖国の繁栄を期する強い思いが重ねられています。

令和という新しい御代を生きる私たちには、過去と未来の結節点に立つ者としての責任があります。その責任の自覚のためにも、父祖たちの、死者の言葉(遺志)に耳を傾けなければならない。さらにはその言葉を、安易に今日的な価値観に引きつけてはいけないと思います。

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・7月31日〈『言いがかり』しか出来ない、MMT批判の有識者達 /戦争を語る事実・虚構・真実の間〉

・8月23日〈GSOMIA破棄と日本の安全保障/ 昭和61年夏の挫折、その真相〉

・8月28日〈アジアの良友はどこにいる/自主防衛のコストを考える/映画「ある町の高い煙突」を観て~明治の終わりの奇跡〉