師走も半ばとなりました。

皆さんが息災に過ごされていることを祈念しています。

令和元年(2019)の末に中国・湖北省で発生が確認された新型コロナウイルスによって、この12月初めの時点で、わが国内では約173万人が感染、約1万8千人の命が失われました。世界全体では約2億7千万人が感染、約525万人が死亡しています。

コロナウイルスとの戦いはまだ続きますが、日本国民は、感染を抑止すための行動制限を守り、〝非日常〟の生活に耐えて2年余りを過ごしてきました。医療体制の不備や経済活動の自粛要請にともなう生活困窮など、後手に回った政府の対策にも拘らず社会秩序は維持され、日本人は自らを律せられる国民であることを示したと云えます。

長い歴史に培った同胞意識が日本という国、その共同体を支えていると私は考えます。平たくいえば、同じ言葉を使い、同じ価値観を有するという安心感です。グローバル化の大波が押し寄せて久しく、「日本らしさ」は世界の標準に合わない、古臭いと弊履(へいり)のごとく論じ、「多様性の尊重」という時代の価値観を拡大解釈して日本の本質、個性を希薄化させることが国際化だと主張する人々が増えています。

しかし、人間は突然、宙空に産まれ出るのではありません。今生きている私たちの命は、後に続く日本人を信じた御先祖の存在あってこそです。御先祖と繋がっているという固有の実感こそが「日本らしさ」の源泉で、それを大切に思うことは排他的であることとは違います。

配信中の「ライズ・アップ・ジャパン」12月号で、日本人が如何に「他」を受容してきたか、例の一つとして仏教伝来の経緯について少しお話しました。

日本の文化的特徴は何でも包摂してしまう奥行きにあると思います。歴史的に日本人は深刻な宗教対立を抱えたことがありません。島原の乱などを持ち出してキリシタンへの過酷な弾圧があったと言い募る人たちもいますが、それは大航海時代から続く西欧の〝侵略の尖兵〟としての脅威を感じたからであり、宗教問題というよりは、当時のキリスト教圏の領土的野心を警戒し、内政から紛争の要因を少しでも無くそうという多分に防衛的な要素がありました。

大まかに云えば、我が国は、異なる価値観、異文化に対して端から排除することなく、新奇なものへの高い関心を持ち、新しい知見、教養として理解を試みる奥行きがあり、その後、直感に照らして吟味咀嚼し、悪くないと思えば、より自分たちに合うようにして取り入れてきたのではないでしょうか。

仏教が正式に日本に伝えられたのは6世紀半ばで、『日本書紀』に第29代欽明天皇の13年(552年、壬申)10月、百済の聖王(せいおう)が使者を使わし、仏像や仏典とともに仏教流通の功徳を賞賛した上表文を献上したと記されています。

仏教が後宮に入ったのは第30代敏達天皇の時代で、天皇自身が帰依したのは第31代用明天皇からとなります。崇仏派の蘇我氏に対し、物部・大伴両氏は「古来日本の神があるのに、外国の神を拝んでは日本の神の怒りを招く」と反対の立場をとりました。

結局、蘇我氏が武力によって仏教反対勢力を押さえ、蘇我稲目の娘堅塩媛(きたしひめ)を母とする用明天皇が初めて仏教に帰依します。用明天皇の同母妹が推古天皇で、第二皇子が厩戸皇子(のちの聖徳太子)です。

蘇我氏に敗れた物部守屋(もののべのもりや)は、「いかにぞ国神(くにつかみ)にそむきて他神(あだしかみ)を敬わん」と嘆きましたが、用明天皇は神代以来の伝統を放擲(ほうてき)したのではなく、「仏法を信じ神道を尊ぶ」として、皇女を伊勢神宮に仕えさせるなど日本の神の祭りを大切にし、絶やすことはありませんでした。

日本の神々と外来の仏の共存共栄という〝日本の伝統〟の淵源はここにあります。崇仏・廃仏の対立も、やがては神社に参拝したら次はお寺に行くとか、一方だけに傾かない神仏習合になっていきます。その始まりは、神社に付属して置かれた寺院である神宮寺の誕生で、奈良時代の気比神宮寺が文献上では初見とされます。

聖徳太子の事績にも触れておきます。漢訳仏典を学び、仏教を奨励し、多くの寺院を建てましたが、同時に党派的抗争を戒めました。叔母である推古天皇の摂政として憲法十七条を制定、その第一条で「和ヲ以テ貴シトナス」と諭したのは、国内の「和合」を強く求めたからです。今日的な云い方をするなら、太子は信仰や政治の原理を説くよりも、複数価値の容認と平和共存を説いたわけです。

もとより日本の歴史にこの列島に住む人々の争いが刻まれていないわけではありません。古代より日本列島の各地に生きる人々が衝突と融和を重ねた結果、溶鉱炉で純度の高い鉄が鍛えられる如く、概ね一つの民族国家としてまとまった。そしてそこには渡来し、帰化した人々もあり、その宗教や学術なども「日本」に包摂されていった。

故渡部昇一先生は『歴史の読み方―明日を予見する「日本史の法則」―』(祥伝社、昭和54年刊)という本の中でこう述べています。

〈もし、われわれがとてつもなく剛直で柔軟性に欠ける随神の道(かんながらのみち)を持っていて、それだけに固執したとするならば、きわめて純粋であったかもしれないが、一方で、きわめて内容の乏しい文化にとどまったかもしれない…(略)

しかしながら、それが仏教、儒教のいずれとも共存しえたために、仏教、儒教の内包する豊かな文化内容は、ことごとく日本の文化を潤す素材となり、日本人の精神の陶冶(とうや)にも大いに役立ってきたといえる。(略)

日本特有の体質(コンステチューション)をタテ糸するなら、仏教、儒教、キリスト教などの異文化は、すべてヨコ糸である。

仏教だろうが、西洋思想だろうが、貪欲に吸収し、日本の体質であるタテ糸に織りこんでいくことによって、日本文化は絢爛豪華な織物になっていった。〉

国際化とは、他者(国)の物差しに自らを当てはめ、それに合わぬことを嘆いたり、卑下したりすることではない。自らの文化や価値観を如何に他者(国)に示すか、理解を増進させるかという能動的な姿勢のことです。今日、私たち日本人が他者(国)から「特殊」「異質」と批判されるならば、それを受け入れる前に、長い歴史に照らして、特殊、異質とされる「価値」をまず自ら知る必要があるでしょう。

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