いわゆるヘイトスピーチ解消法(正式名称「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」~本文中は「解消法」と略す)が施行されたのは平成28(2016)年でした。
解消法は「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的言動」を防止するためと国会でも説明されましたが、「何がヘイト(憎悪)表現か」については定義が難しく、解消法でも曖昧なままです。「不快である」「傷つけられた」という被害者感情を訴える側が一方的に正当性を持ち、「ヘイト」表現が拡大解釈されるのであれば、なんびとも他者を語れなくなるかも知れません。
かつて福澤諭吉は、「脱亜論」(明治18年『時事新報』)で「主義とする所は脱亜の二字に在るのみ」と主張し、「尊大な支那、事大の朝鮮、共に文明理を解せず、法治にあらざる国」と説きましたが、今日この「脱亜論」を引いて中国、韓国・北朝鮮を論じることは「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的言動」に入れられるのか。
古い話になりますが、平成12(2000)年に石原慎太郎都知事(当時)による「三国人」発言問題というのがありました。同年4月9日、石原知事は陸上自衛隊練馬駐屯地で行われた記念式典で「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害が起こったときには、大きな騒擾事件すら想定される。警察の力をもっても限りとする。やはり治安の維持も皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」と述べました。
これを全国の新聞、放送局に記事を配信する共同通信が、「不法入国した」という元の発言の重要部分を省いて伝えたことから、石原氏は強い批判にさらされました。
釈明を求められた石原氏は4月12日の記者会見でこう述べました。
「第三国人というのは差別用語なんですか。辞書にはっきり出ている。私の使っている『大辞林』(三省堂)によれば、
一には当事国以外の国の人。
二は第二次大戦前、および大戦中、日本の統治下にあった諸国の国民のうち、日本国内に居住した人々の俗称。
そして敗戦後の一時期、主として台湾出身の外国人や朝鮮人を指していた。私はこの字義に沿って第一義の意味で、外国人という言葉で使ったんだが、このごろの人には耳慣れない言葉だから、あえて重ねて外国人と言いました。(略)
ずっと在日でいた中国や韓国の人を不法入国したとは思っていません。誤解を招きやすいのだったら、在日の韓国人、朝鮮人の心情を察するにあまりありますから三国人という言葉は心して使わないようにしますけれども。つまりは正当な日本語を正当に使ったのに、その説明がカットされて非常に悪い印象を与えた。誤解されたことは極めて遺憾であります。(後略)」
共同通信は当初、「『不法入国した』との部分が記事中に入っていなかったのは事実だが、記事は『三国人』との言葉を使い、治安出動に言及した発言をニュースとしてとらえたもので、不備な報道ではない」(古賀尚文社会部長)としていました。
石原氏の強い抗議に対し、のちに共同通信は記事の不備を認めましたが、石原氏の「三国人」という言葉に対する認識が正確に読者に伝えられたとはいえません。
先の会見では、記者の側から「三国人という言葉が蔑称として使われてきたことを知事は知らなかったのか」という質問が出され、石原知事は、
「差別ではない。識別するためには使っていましたよ。言葉というのは人によって、差別というのは感情の問題ですからね。使い方はいろいろあるでしょう。しかし私はあくまでも第一義として使ったわけです」と答えました。
そもそも「三国人」は、戦後の被占領下に米軍の〝指導〟によってつくられた行政用語です。
私は当時、雑誌『正論』の編集者としてこの問題を取り上げ、評論家の呉智英氏に語っていただきました。要約次のとおりです。
「第三国」「三国人」は昭和27年のサンフランシスコ講和条約以後、規定そのものが無意味になり、事実上死語となっていった。ただ、その後も戦後処理は続いていたため、1960年代までは、新聞でもラジオでも「三国人」はいくらでも使われていた。
現在では「三国人」が死語となってから成人した記者・編集者がマスコミの中核を占めるようになったため、彼らが現在必携する『記者ハンドブック』にある〈日米交渉で両国以外の国という意味で使う「第三国」はよいが、戦争中に使われたような朝鮮人、中国人を意味する「第三国人」は使わない〉という説明では、「三国人」は戦前・戦中に支那人や朝鮮人を差別するために作られた言葉だと思い込んでしまうだろう。
(詳細は『正論』平成12年2月号《共同通信用語ハンドブックの罪》)
呉氏によれば、「第三国」の意味を正確かつ簡潔に説明しているのは『日本国語大辞典』(小学館)で、〈第二次世界大戦後の占領時代に、かつてわが国の統治下にあった諸国の国民(朝鮮人・台湾人)に与えられた名称。一般の外国人(連合国人・中立国人)とは異なる法律上の扱いを受けた〉というものです。
戦勝国・敗戦国以外の第三国だから「第三国」であり、戦勝国でも敗戦国でもないのは、それまで日本が統治していたからです。
したがって『記者ハンドブック』の説明は、「第三国人」の成立時期が間違っているだけでなく、それに該当する民族・国民も間違っていることになります。『ハンドブック』では支那人も第三国人に含めていますが、支那は日本の領土ではなく、戦争当事国です。
呉氏の指摘からわかるのは、石原氏に「蔑称として使われてきた」という記者の依拠した「三国人」理解にそもそもの誤りがあったということです。
さて、映画好きの私は洋画邦画を問わず、よく古い作品も観るのですが、つい先日、石原裕次郎が主演した「清水の暴れん坊」(昭和34[1959]年日活製作)という作品を観たら、麻薬密売組織を追及するラジオ局の敏腕プロデューサー役の裕次郎の前に現れた黒幕は「三国人の昆英劉」とはっきり描かれていました。
この作品に限らず、昭和50年代初頭までの文学、映像作品は、「時代の実相」を可能な限りありのままに伝えようとし、それに対する反発や封じ込めは少なかったのです。ポリティカル・コレクトネス(political correctness)など今日的価値観をまったき善とするような言語空間、表現空間の息苦しさを私は感じないわけにいかないのですが、皆さんはいかがでしょうか。
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