この19日(火)、DHCテレビの「真相深入り! 虎ノ門ニュース」にコメンテーターとして出演しました。
https://www.youtube.com/watch?v=C-aKLOTwSUg
番組後半に「アメリカ史上最強の陸軍 第442連隊戦闘団」という特集があり、そのなかで戦前アメリカに渡った日本人(日系人)の苦闘について話をしました。
第二次世界大戦当時、移民の国であるはずのアメリカで〝敵性外国人〟として強制収容されたのは日系人だけです。日米戦争の遠因となった排日土地法や排日移民法に見られるように、日系人だけが、単に交戦国であるという理由だけでなく「人種」によって排除されました。
いわゆる〝一旗組〟ではなく、アメリカで生きることを決めた日系人たちは、アメリカ国家への忠誠を示し、「国民」として正当な権利を手にするため軍隊に志願し、厳しい訓練に耐えたのち主に欧州戦線に投入され、苛酷な戦場で戦いました。
有名なのはハワイ出身の日系人主体で編制された「第442連隊戦闘団」(442部隊)です。1944年1月から2月かけてドイツ防衛線のグスタブ・ラインの攻防戦に投入されたのを始め、5月にはローマ南方のカエサル・ライン突破に活躍し、イタリア戦線最大の激戦地とされたモンテ・カシノの戦闘では多大な犠牲を払って米軍の進撃を支えました。
442部隊の名を高めたのは、1944年10月、ドイツ軍に包囲されて救出困難とされ、「失われた大隊(Lost battalion)と呼ばれたテキサス大隊の救出に成功したことです。救出を下命された彼らは、休養が十分でないにもかかわらず、待ち受けていたドイツ軍との激戦に「Go For Broke!」を叫んで突撃を繰り返しました。
戦闘から4日目、442部隊はついにテキサス大隊の救出に成功しますが、テキサス大隊の211名を救うために442部隊は約800名の死傷者を出しました。救出直後、テキサス大隊の隊員たちは小柄な442部隊の日系隊員たちに抱きつき、涙を流して感謝したと伝えられますが「ジャップじゃないか」と吐き捨てる白人兵もいました。
屈辱に耐えながら442部隊は戦い続け、靡下の第552砲兵大隊はその後ドイツ国内で激闘の末にミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所を解放します。しかし日系人部隊が強制収容所を解放したという事実は長い間秘匿され、1992年まで米国内でも公にされることはありませんでした。
戦後、日系人として初の連邦議員になったダニエル・イノウエは、出征前に父親にこう諭されたといいます。
〈井上家はアメリカから大きな恩を受けている。いまこそ、お返しをするときである。おまえは母親にとっても私にとっても大事な長男だ。しかし、しなければならないことは、すべきである。たとえ、それが死を意味しても――。井上の家名に泥をぬるようなことはするな〉(渡辺正清『ゴー・フォー・ブローク!』光人社)
また、戦友を救うために命を投げ出し、死後、最高位の「議会名誉勲章」を授与されたサダオ・ムネモリ(第100歩兵大隊所属)は、これも出征前母親にこう言われたそうです。
〈日本人として恥ずかしくないように、あなたの国アメリカのために戦いなさい〉(同)
日系人が「信頼される市民」として米国内で認められるために、一体どれほど膨大な血と命を捧げ、長き歳月が必要だったか――。
欧州戦線から米本土に帰還した442部隊を迎え、首都ワシントンで催された式典で、トルーマン大統領は彼らの奮闘と栄誉を称えてこう述べました。
「諸君は今度の戦争で二つの敵と戦った。一つは戦場における敵であり、もう一つは米国内の偏見との戦いである。諸君はいずれの戦いにも勝利をおさめた。」
しかし…現実には二つ目の勝利は手にしていませんでした。番組でも話しましたが、たとえばダニエル・イノウエは米陸軍中尉としてハワイに帰るとき、サンフランシスコで散髪屋の主人に「ジャップの髪は切らない、出て行け」と言われました。イノウエ中尉の軍服に輝く戦場で失った右腕の代償としての勲章も、「偏見」の前では意味をなさなかったのです。
(イノウエ中尉はイタリア戦線での武功によって、442部隊の指揮官からは陸軍で最高位の「議会名誉勲章」に推されましたが、陸軍省はそれを拒否し、次位の「殊勲十字章」にとどめられました。戦後55年経った2000年になって、再審査の結果、イノウエ中尉は他の19人の二世とともに、当時のクリントン大統領から「議会名誉勲章」を授与されました。)
また、日系人の弛まぬ努力によって「排日土地法」と「排日移民法」が撤廃されたのは1952年のことでした。
さて、いまや世界はグローバル化、多様化、ボーダレス化し、「人種」や「国籍」に拘る時代は終わったという意見が大勢を占めます。しかし、人種や国籍に意味がなくなったわけではない。
人間は独り宙空に生まれ出て、宙空に生きるのではない。いずれかの共同体に生まれ、そこに育つ。いつの時代の、どんな共同体の、どんな両親のもとに生まれるかは誰も選べない。突き詰めれば、人間は〝ある宿命〟のなかで生きていくほかない。
もちろん、現実の人生の中で、生来のもの、所与を放棄し、自らの意思で何ものかを選択することはできる。国籍はその一つです。今日、市井に生きる庶民であれば、その選択の自由の幅は広くあっていいでしょう。
しかし、一国の舵取りを委ねる存在に対しては異なります。国政に参画するのはその国の命運に我が身を重ねることと同じです。この基本的な意味に旧いも新しいもありません。どの国籍を選んでも、選んだ先の「国民」としての義務が生じるのは当たり前です。「自由」や「権利」の名のもとに、いいとこ取りはできない。この当たり前の感覚が、いまの日本人には薄いような気がしてなりません。
一例として、立憲民主党の副代表をつとめる蓮舫さんに触れます。彼女は参院議員になる前(平成7[1995]年)、ある旅行雑誌のインタビューにこう応えています。
「日本人でいるのは、それが都合がいいからです。日本のパスポートは、あくまで外国に行きやすいからというだけのもの。いずれ台湾籍に戻そうと思っています。」
昨年、「二重国籍」問題を批判された際、蓮舫さんは「生まれ育った日本に誇りを持っているし、愛している」と語りました。平成7年当時から考えが変わった可能性はあり得ます。人は良くも悪くも変われる。であれば……いや、これ以上は言う必要はありますまい。
日系二世部隊の命懸けの苦闘が物語る、今日の日本に必要な教訓は何か――。
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