12月14日、ソウル市内で日韓・韓日議員連盟の合同総会が開かれ、両国の友好協力の強化へ努力していくことなどを盛り込んだ共同声明が採択されました。

声明には、韓国最高裁による「徴用工」訴訟での日本企業に対する賠償命令や、慰安婦問題をめぐる日韓合意に基づく財団の解散への日本側の「憂慮」と、韓国政府への適切な対応を「要請」することが盛り込まれましたが、韓国側も、村山・河野・菅談話など「侵略と植民地支配に対する反省と謝罪」という歴史認識の重要性を強調し、日本側もそうした歴代政権の立場を継承していくことを再確認しました。

総会に先立って日韓議連の額賀福志郎会長らは文在寅大統領と会談しましたが、徴用工裁判の判決に関し日韓請求権協定に基づいて適切な措置を取るよう要請した額賀氏に、文大統領は「個人請求権は消滅していない。いかに解決するか両政府で話し合っていきたい」と答えました。

個人請求権はお互いに行使しない、というのが日韓請求権協定での〝約束〟だったはずですが、文政権はこれを守る気はないようです。慰安婦合意の反故、徴用工訴訟…さらに直近では、韓国海軍の駆逐艦が我が海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制用レーダーを照射する〝異常な事件〟が起きました。海自哨戒機は「ロックオン」されたわけですが、韓国当局は「日本側に脅威を感じさせる行動は一切していない」と、我が防衛省がはっきり証拠を示しているにもかかわらず、一切過ちを認める気はないようです。

いったいこういう国と「友好協力の強化」が可能かどうか。いつまで日本は韓国に対して友好幻想を持ち続けるのか。少しく過去を振り返ってみましょう。

1980(昭和55)年から88年まで大統領だった全斗煥は、日本との過去についてこう語りました。

「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である。」(1981年8月15日「光復節」記念式典での演説)

後継の盧泰愚は、来日した1990年(平成2)5月25日、韓国大統領として初めて日本の国会で演説し、次のように述べました。

「われわれは、過去において国家を守ることができなかった自らを反省するのみであり、過去を振り返って誰かをとがめたり恨んだりはしません。」

盧泰愚のあと韓国民主化後初の文民出身大統領となった金泳三は、国交正常化30周年の日本人記者団との会見で、国交交正常化は軍事政権による政権維持のためだったと否定的な見解を述べ、正常化後の日韓協力関係についても「日本も儲けたではないか」と、前向きな評価はしませんでした

金氏はそれまでの軍事政権を否定する「歴史清算」のなかで日本非難を重ね、国立中央博物館として使用していた旧朝鮮総督府庁舎を解体、撤去するなど日本統治の痕跡を消し去る事業を進め、竹島(島根県隠岐の島町)に船舶の接岸施設を建設し、韓国軍を常駐させて実効支配を強めました。

金泳三のあと大統領に就いたのが金大中です。就任後の1998年(平成10)10月に来日、当時の小渕恵三首相との間で「日韓共同宣言」を発表、そこには両氏の署名とともにこう記されています。

「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。」

「金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した。」

共同宣言を受け金大統領は、「これで日韓の過去は清算された。韓国が今後、外交問題として過去を問うことはない」と明言し、「謝罪は一度でいい」とも語りました。

金大中自身「知日」であることを誇り、日本もそれに期待し譲歩を重ねましたが、歴史教科書問題が起きると教科書記述の訂正を外交問題として日本に要求するなど前言を翻し、国連人権委員会の会合でも慰安婦問題を取り上げるなど日本非難が止むことはありませんでした。「過去は清算」されないのです。

金大中の次が盧武鉉です。盧氏は、日本統治が終わった後の1946年生まれの「解放世代」初の大統領でした。盧氏も就任当初は日韓関係の「未来志向」を表明し、2003年(平成15)2月の就任式では、訪韓した小泉純一郎首相(当時)に青瓦台玄関に設置した真新しい来館者名簿の筆頭に署名を求めるなど気配りをみせ、会談でも小泉首相の同年1月の靖国神社参拝への言及を避け、スポーツ振興や自由貿易協定(FTA)などの前向きな話題に終始しましたが、程なく強硬な反日姿勢に転じました。転じたというよりそれが本性だったのですね。

その後も李明博、朴槿恵、文在寅と、大統領が代わる度に「未来志向」が表明され、日本がなにがしかの援助や資金提供をすると、程なく約束は反故にされ、無限ループのようにそれが繰り返される。歴代の韓国大統領が何を言ってきたかを振り返っても虚しくなるだけで、彼らに「未来志向」を履行する気があるようには見えません。

同時に、我が国には「日本はまだ謝罪と補償が足りない」と訴える「識者」が大勢いて、後押しする新聞が沢山あります。さらに彼らは、相互理解のために民主的に粘り強く話し合うことが大切だと訴えるのですが、時には「問答は無用である」という態度も必要なのです。

山本夏彦翁が平成10年にこう書いているのを、私は膝を打って読みました。

〈「話しあい」というものはそもそも出来ないものだ。それを出来るように言いふらして信じさせたのは教育で、教育には強い力があると言うと、どれどれ異なことを言うと乗り出して聞いてくれる人と、てんから聞いてくれない人にヒトはふた派に分かれる。

この十年南京に大虐殺があったという派となかったという派が争っている。遅れて朝鮮人の慰安婦の強制連行があったという派となかったという派が同じく争っている。(略)

南京には従軍記者特派員文士画家が三百人近くいて記者は一番乗りを争っていた。南京の人口は二十万人である。三十万殺せるわけはない。十万で累々たる死屍に足をとられたはずなのに誰もとられていない。十年前なら従軍記者の過半は生きている。新聞は連日大座談会でも開けばいいのに開かなかった。新聞は大虐殺はあった派なのである。

慰安婦の強制連行もむろん私はなかった派である。あるはずがない、というのは昔から女衒(ぜげん)といって女を売買する商売人がいて、それにまかせて日本軍は売笑婦の現地調達をしなかった。別に軍が道徳的であったわけではない。「民」にまかせる発想しかなかった。貧しい女たちは身を売って大金をかせいで親もとに送った。孝である。

そのもと慰安婦が三十年以上黙っていて今ごろ言いだしたのは、金が目あてである。わが国の閣僚が強制はあったような発言をしたからである。一人ならず何人も謝罪して言質をとられている。(略)

自分の国の不利を招かないためにはサギをカラスというのが健康なのである。いわんやありもしない強制連行をあったという閣僚は日本人ではない。(略)

日本はアメリカとは昭和二十六年、フィリッピンとは同三十二年、インドネシアとは三十三年、以下国交回復と賠償を全部果たしている。韓国とはながい折衝の末昭和四十年「日韓基本条約」で日韓の問題は「これをもって最終の解決とする」と大金を払って合意した。

もし蒸し返されたらそのつどこの条約をもちだして一蹴すればいいのにわが閣僚も新聞もしない。それどころか陛下に謝罪の言葉がなかったと不服そうだから、若い読者にはこの条約の存在さえ知らないものがある。(略)

論より証拠というけれど、この世は証拠より論なのである。いかなる証拠をあげても大虐殺なかった派はあった派を降参させることはできない。話しあいはできないのである。(後略)〉(「問答は無用である」『文藝春秋』平成10年10月号)

私たちが「国家」としての健康を取り戻すために必要なことははっきりしています。

――大晦日も間近となりました。「反日メディアの正体」「大東亜戦争の研究」「ライズ・アップ・ジャパン」…それぞれ御縁をいただきました皆さんに感謝申し上げます。

時節柄、呉々も御自愛ください。

来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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・12月26日〈沖縄県民投票~歴史を直視せよ/言葉を削り取ると時代が見えなくなる/トランプ大統領「チベット相互訪問法」に署名/IWC脱退 閣議決定〉