6月4日、天安門事件から30年を迎えました。天安門事件とは何か――。『百科事典マイペディア』(平凡社)を引くとこう記されています。

〈989年4月17日、天安門広場で胡耀邦(こようほう)を追悼する学生集会に端を発し、その後市民も参加し、天安門広場を中心に非暴力による民主化要求運動が展開された。しかし、6月3日〜4日、人民解放軍の戒厳部隊が戦車と銃で学生・市民を制圧。これによる死者は2000人、負傷者は3万人に達したといわれる(〈血の日曜日〉事件)。民主化を求める学生・市民に対する当局の制圧は国際的な非難を受けたが、李鵬(りほう)首相の主導により事件後もデモ参加者の摘発・裁判が続けられた。また、この事件に関連して趙紫陽総書記が解任され、代わって江沢民が選出された。

『百科事典マイペディア』(平凡社)

1989年といえば、我が国では昭和天皇が崩御され、皇太子明仁親王が践祚、昭和から平成へと御代替わりした年です。国際社会も大きく変化し、2月にはソ連がアフガニスタンからの撤退を完了、3月には、ゴルバチョフによってソ連最高会議に代わって設立されたソビエト連邦人民代議員大会の議員選挙でソビエト共産党が敗北を喫しました。ハンガリー政府がオーストリアとの国境にある鉄条網の撤去に着手し、「鉄のカーテン」が破られたのが5月初めです。

第二次大戦後の「米ソ冷戦」の終結という流れが「東側」に押し寄せ、自由化、民主化のうねりが共産主義を大きく揺さぶる中、中国共産党は自国内にそれが波及することを拒んで弾圧したのです。

当時の李鵬首相は事件の約3カ月後に犠牲者を「319人」と発表しましたが、極めて信憑性に乏しいもので、実際の犠牲者は数千人から1万人規模とみられています。30年を経た今日でも事件をめぐる基本的な事実は開示されていません。

中国当局は、天安門事件に繋がる「1989」や「64」という数字をネット検閲の対象にしてきました。ウィキペディアの中国語版は2015年から閲覧できなくなっていましたが、この5月17日、全言語ページがウィキメディア財団に何ら説明も通告もないまま中国当局によって遮断されました。
https://www.afpbb.com/articles/-/3225267

さらに、グーグルやフェイスブックをはじめとする多くの海外サイトを閲覧できなくしています。
中国当局の姿勢は、天安門事件について「中国の巨大な発展の成果は、政府が当時取った行動が完全に正しかったことを表している」(6月4日、中国外務省の耿爽・副報道局長の記者会見発言)というもので、全き自己正当化です。

さて、当時の日本はこうした中国にどのように接したか。
リクルート事件で失脚した竹下登から宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一と3代の内閣を振り返ると、政治が機能喪失する急坂を転げ落ちる様を見るようでした。宇野首相は事実上女性スキャンダルによって在任69日で倒れ、後を継いだ海部首相は小沢一郎自民党幹事長に「神輿は軽くてパーがいい」と嘯(うそぶ)かれたと伝えられます。

天安門事件当日の首相は宇野氏でしたが、その後、国際社会が中国に制裁を科したなかで、それをいち早く緩めたのが海部首相です。中国当局の人権と民主化弾圧を厳しく糾弾し、西側諸国を中心に経済制裁による対中包囲網が形成されたなか、日本は真っ先に対中円借款を再開しました。さらに平成3(1991)年8月、海部氏は天安門事件後、主要国の首脳として初めて訪中したのです。

海部訪中の実現を中国の外務当局者は「対日外交の大きな勝利だ」と位置付けていたという。当時の日本政府の思惑について、海部訪中に関わった日中関係者は「隣国として、中国を孤立させてはいけないという思いがあった」と説明した上で「中国を国際社会に巻き込めば、少しずつ民主化に向かうのではないかという期待もあった」と話した。海部訪中の翌年には日本が中国側の要望を受け入れる形で天皇訪中も実現。国際社会での中国の孤立解消に日本が大きな役割を果たした形となった。

令和元年6月5日付『産経新聞』〈【矢板明夫の中国点描】北京に「鶴の恩返し」はない〉

産経の記事にある天皇訪中は、平成4(1992)年10月のことです。海部内閣を引き継いだ宮澤内閣は「日中友好のため」として天皇、皇后両陛下の御訪中を決めました。両陛下の御訪中には国内に反対意見も多くあったのですが、〝親中派〟が押し切った格好になりました。

2003年3月に引退した中国の銭其琛元副首相が、自身の回顧録『外交十年』で、この天皇訪中について、天安門事件によって西側から受けた制裁を打破する戦略的な狙いがあったことを明らかにしています。
銭氏ははっきり、「日本は中国に制裁を科した西側の連合戦線の中で弱い部分であり、おのずから中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口になった」と述べ、天皇訪中が実現すれば、「西側各国が中国との高いレベルの相互訪問を中止した状況を打破できるのみならず、(中略)日本の民衆に日中善隣友好政策をもっと支持させるようになる」と記したのです。

中国側からすれば、日本側の「日中友好」なぞとは関係なしに、天皇訪中には「西側の制裁を打ち破る突破口」という狙いがあり、銭氏は「この時期の天皇訪中は西側の対中制裁を打破する上で積極的な効果があり、その意義は明らかに中日両国関係の範囲を超えていた」と、訪中実現にこぎつけた自身の成果を誇示しています。
銭氏の回顧録が物語るのは無残な日本外交の敗北で、「友好幻想」に囚われた摩擦回避、先行譲歩は中国に利用されるだけだということです。

付言すれば、平成9(1997)年5月9日、自民党行政改革推進本部の総会で当時の武藤嘉文総務庁長官が、平成7年にオーストラリアのキーティング首相から聞かされたとしてこんな話を明かしています。中国の李鵬首相がオーストラリアを訪問した際、キーティング首相に「日本などという国はあと30年もすれば潰れてなくなっている」と語ったというのです。

天安門事件に対する国際社会の制裁を「日中友好」のためいち早く解除し、天皇訪中を実現して〝親中外交〟につとめた日本を、中国の首脳部は感謝するどころかこう見なしていたことを、日本人は冷静に、はっきり記憶にとどめておくべきです。

〈中国が国を挙げて天皇の訪問を歓迎していた92年秋、江沢民政権は国内各地で100カ所を超える抗日戦争記念館の建設に着手し始めた。天安門事件で失った共産党の威信を維持するのに、民族主義をあおるしかないと考えた江政権は「愛国主義教育大綱」をまとめ、日中戦争を題材に「日本批判キャンペーン」を静かに始めた。〉

前掲『産経新聞』

現在、米中貿易戦争が激しさを増しています。トランプ米政権は対中輸入品2000億ドルへの制裁関税を25%に引き上げました。さらに同税率を残る対中約3000億ドルすべてに広げる構えです。
こうした事態に日本の政財界、大手メディアからは、米中ともに冷静さを取り戻し、協調路線に立ち戻って早く事を収めてほしい、と第三者的な言葉が発せられています。

米中の戦いは、単に経済問題だけでなく、各種の情報や技術をめぐる国家としての覇権争いです。しかもこの戦いの前史にあるのは、中国が他国の資金と技術を利用して――提供してきたのは「日中友好」を信じた日本――、不正に利益を拡大し、知的財産などを奪って軍事力増強などに結びつけてきた事実です。通信技術と基盤整備、宇宙開発などの分野における中国の台頭と規模を考えると、トランプ政権の危機感は妥当なもので、巻き返しの最後のチャンスかも知れません。それほどの正念場と見るべきです。

「英国は永遠の友人も持たないし、永遠の敵も持たない。英国が持つのは永遠の国益である。」
こう語ったのは19世紀の英国首相パーマストンです。

国家の独立の全うということを考えるならば、どの国に寄り添うかよりも、いかに自らの足で立つ力を涵養するかが第一です。しかし、現実には一国で何もかも達せられるわけではない。であるなら、独立の意志を第一に、次により有効な同盟関係を模索するという順番になります。

日本は米国と中国のどちらの側に立つのか。米中の間で、たとえば日米安保条約は、米国の「日本防衛」という義務と日本に対する「ビンの蓋」の両面を持っていることを私たちは知っておかねばなりません。同時に、中国は一党独裁の国であり、自由や民主主義といった価値観を共有する相手ではないことをわきまえておかねばなりません。どちらの国もそれぞれの都合で動いていて、その都合の中で対日関係が考えられていることを冷徹に承知した上で、私たちは様々な選択をしていくしかない。

冷戦時代は、日米安保体制が現実として機能していると日本は思い、中国もまたそう見ていたと思います。中国自身に日本の資金と技術を手に入れようという下心があり、表面的な〝微笑〟を惜しまなかったために、歴代の自民党政権も日本国民もさほど中国の振る舞いに警戒感を抱くことなく過ごしてきました。一気にではなく、少しずつ砂山が取り崩されるように押し込まれ、自民党以上に中国に位負けの感覚が強い民主党政権になってそれがはっきりしたということです。

日本にとって現在の中国は非常に厄介な存在です。何とか中国をコントロールしなければ世界が不幸になるのは目に見えています。そのために日本が米国と協力すること、また助言することは少なくないのですが、同時に米国が突然日本を置き去りにし、彼らにとっての適切な行動をするかも知れないという、その備えは不可欠です。

国家というものは孤独なものです。国家の永続には国民に覚悟がなければならない。そして、日本の永続のための現在の選択は、米国と中国を同列に置くことではない。過ぐる七十数年前の米国の対日占領政策の桎梏から自らを解き放つ〝内なる戦い〟を忘れるわけにはいきませんが、それは感情的な反米に流れ中国に傾くことではない。今は、中国が現実に及ぼしている脅威に立ち向かう秋(とき)で、滅多矢鱈に戦線拡大しないようにトランプ政権に働きかけることは必要ですが、対中戦線を「友好幻想」によって攪乱するのは愚の骨頂です。

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