18都道府県に適用されている新型コロナウイルス対策の蔓延防止等重点措置が21日までで全面解除されます。情報通信の発達で、戦火に苦しむ異国の人々の存在を身近に感じる今、花見に浮かれる気分にはなれないでしょうが、人の世の事情に関係なく季節の舞台は廻り、春に桜の咲いて散る姿を愛でるのは日本人の常。それなりに節度をもって愉しみたいものです。

さて、配信中のライズ・アップ・ジャパン3月号のQ&Aコーナーに、「最近、豊下楢彦(とよした・ならひこ)氏らによる昭和天皇が日米安保条約の成立に関与していたとの言説に触れ、自民党の保守本流が捻れた理由は、これが大きく影響しているのではないかとの印象を持ちました。どのように考えますか?」との質問が寄せられました。

番組では短い時間の中で不十分な回答になったと忸怩たるものがあり、ここに少し補足をします。

豊下楢彦氏は昭和20年兵庫県生まれ。京都大学法学部を卒業し、立命館大学法学部教授、関西学院大学法学部教授を歴任。専攻は国際政治論・外交史で、著書に『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』(岩波新書)、『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)などがあります。

豊下氏の主張を要約すると、日米安保条約の成立には〈吉田茂首相の「ワンマン外交」の所産としてのみ捉えることができるのか、という根本的な疑問〉があり、〈吉田を〝超える〟ところの昭和天皇による「天皇外交」とも呼ぶべきベクトルが交渉過程に介入したことが、安保条約のあり方に決定的ともいえるインパクトを及ぼしたのではないか、という一つの「仮説」さえ立てることができる〉というものです(『安保条約の成立』)。

その論拠として『平和条約の締結に関する調書』(外務省条約局法規課)とそれに付された資料集としての『付録』、さらに被占領下に昭和天皇とマッカーサー元帥、その後任のリッジウェイ中将との会見の通訳をつとめた松井明氏(当時吉田茂首相秘書官)の手記などを挙げています。

昭和天皇とマッカーサーの会見は計11回行われ、1回目と4回目は外務省幹部の奥村勝蔵氏、2回目と3回目は昭和天皇御用掛の寺崎英成氏、5回目から7回目まではGHQ側が通訳を担当し、松井氏は8回目から11回目までの4回とリッジウェイ中将との7回の通訳を務めました。

マッカーサーと昭和天皇の11回の会見内容は秘密とされましたが、1回目はマッカーサー自身が帰国後回顧録で内容の一部を明かし、4回目は奥村氏が「オフレコ」で語った内容の一部(米国が日本の防衛を保障する旨マッカーサーが確言)が外国の通信社から流れ、3回目は産経新聞の米極秘文書取材班が昭和50年に記録を入手し、同年8月15日付朝刊で報じました。それ以外は内容が全くわかっていませんでしたが、松井氏が平成6年(1994)1月初め、「昭和天皇五年式年祭の儀」を前に産経新聞に自らが担当した会見の概要を語り(松井氏は同年4月29日に死去)、さらに1980年頃に書いたとされる松井氏の手記「天皇の通訳」を入手した朝日新聞が、平成14年(2002)8月にその内容を報じました。

豊下氏は、〈昭和天皇の「肉声」を詳細に記録した〉松井氏の手記を〈研究者としてただ一人閲読し分析する機会に恵まれ〉、前述の資料とも併せ、昭和天皇が共産主義勢力が日本の重大な脅威であることを強く意識し、マッカーサーに〈「日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待して居ります」と、事実上アメリカの軍事力による日本の安全保障を求めた〉と述べます。

吉田茂は、政権の座を降りてからは「堂々と親米一途に徹すべく」(『世界と日本』)といった態度を示しましたが、それ以前、たとえば昭和23年7月の参議院では「私は(米国に)軍事基地は貸したくないと考えております」と答弁しています。

吉田についての豊下氏の分析はこうです。

〈講和条約交渉当時の吉田は、アメリカの情勢認識をそのままみずからの認識として受けいれてしまうほどには〝単純〟ではなかったはずである。(略)彼は、共産主義の侵略があれば米国はいやおうなく「不可避的に」侵略を受けた国の防衛に馳せ参じざるをえない、という〝冷戦リアリズム〟を認識していた。(略)

吉田は「朝鮮有事」と「日本有事」を直結させていなかった、ということである。彼はこの二つの「有事」のあいだに、明確な一線を画していた。その立場は、朝鮮戦争を国際共産主義の侵略というイデオロギー的な文脈でとらえ、再軍備促進をめざす「国民運動」の組織化に奔走した芦田均元首相とは対極にたつものであった。〉(『安保条約の成立』)

しかしながら、昭和天皇は〈朝鮮戦争の帰趨と天皇制の将来を、国際共産主義の侵略イメージにおいて〝直結〟させて捉える深刻な危機感〉を抱いており、〈「朝鮮有事」とは「日本有事」、ひいては「天皇制の有事」そのもの〉と考えていたと豊下氏は述べます(同)。

〈このような危機意識に立つならば、吉田が(略)日本本土での基地提供という「根本方針」でいささかなりとも〝動揺〟を示すことは許しがたいことなのである。ましてや、基地提供問題を交渉のカードとして扱うような発想それ自体が、あってはならないことになる。つまり、日本の基地提供は天皇にとって絶対条件なのである。〉(同)

昭和天皇はこの条件を満たすべく、マッカーサーや吉田をバイパスして、むしろ吉田外交を封じ込める形で、米国当局との間に「非公式チャンネル」を形成して、現行憲法の「象徴天皇」に反する政治行為そのものである「外交」を展開したというのが豊下氏の「仮説」です。

豊下氏の「仮説」は、確かに戦後日本の外交・安全保障をめぐる問題の本質に関わる提示をしていると思います。ただ、松井明氏の手記は豊下氏だけしか詳細を知り得ず、分析も然りです。学問的には反証可能性を担保されていないわけで、豊下氏の分析のみに依拠して結論づけることは出来ません。

戦後の日本が、実質上アメリカの強い制御下にあることは間違いありません。かつて最大の敵国だった相手が今や唯一の同盟国であるという現実、その精神的捻れと、被占領下に敷設された主権国家たらしめない体制から如何に脱却していくか。この葛藤の必要性を国民個々が強く自覚し覚醒しない限り、現状追認が現実的保守であるという堕落が続くことになるでしょう。

昭和天皇が共産主義の脅威に対抗するために米国の力を頼ろうとしたとして、その功利主義(実利主義)のもたらすものと、その代償についての葛藤がなかったはずはない。マッカーサー、リッジウェイとの会見で何を語られたか。そのすべてが判明すれば、その葛藤や痛みを国民も知ることになります。実際、わかっている範囲だけでも、国民として違和感や屈折を覚えるやりとりがあります。

それでも、私たちはそれを引き受けて歩んでいかなければならない。

豊下氏の分析と仮説には、戦前との連続性を断ち切る方向の国家の舵取が正しいとの前提があります。私は、戦前との連続性を回復させたいと考える者です。少なくとも、戦後に形成された価値観や歴史観を全き是とすることに大いなる喪失を見いだす者です。もちろん、戦前の反省や教訓を導き出すことを拒むのではありません。

日本国と皇室の永続ために昭和天皇が為されたこと、また為されようとしたことは何か。空理空論に堕さない理想を語るためにこそ、現実の苦さを痛切に知ることが不可欠なのだと思います。日米安保条約と現行憲法9条は不可分であり、日本を主権国家たらしめない装置となっています。昭和天皇は戦後の欺瞞を承知で、公的にはそれを自ら暴くこと能わずと思われていた。その意味で、天皇もまた「無念」を秘して戦後を生きたという気がするのです。

日本の安全保障のためにアメリカのイニシアティブを求めた昭和天皇は、昭和21年の歌会始めでこう詠まれました。

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ

松ぞををしき 人もかくあれ

戦後日本が止揚すべきことは何か、この御製に示されているのではないでしょうか。

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