先月末に「大東亜戦争の研究」第6巻が配信されました。「ライズ・アップ・ジャパン」を御視聴の皆さんにも、本メルマガを通じて、私がこれまで語ってきた「大東亜戦争の研究」(全8巻予定)の内容を折々共有できればと考えています。

第6巻のテーマは「戦慄の日米開戦前夜」です。この中で私は「田中上奏文」について触れました。「田中上奏文」は「田中メモランダム」とも呼ばれ、たとえば最新の『ブリタニカ国際大百科事典』では次のように記されています。

1927年7月 25日首相田中義一が東方会議で協議された対満蒙国策に関し、宮内大臣一木喜徳郎にあてたといわれる上奏文。東方会議直後中国側から報道され、「支那を取るためにはまず満蒙を取り、世界を取るためにはまず支那を取れ」と述べ、満蒙征服の計画を具体的に示していると宣伝された。形式的に上奏文として不審な点があり、また事実上の明らかな誤りもあり偽書とされている。(後略)

「田中上奏文」は1929(昭和4)年9月頃、中国北部に初めて現われ、当時は北京の日本領事館から流出したとされました。文書は初めから英語版と中国語版だけが流通し、日本語版は存在しませんでした。『田中義一と日本外交』の著者で歴史家のウィリアム・モートンは、田中上奏文を「完全な偽書」と断定しています。

問題は、「真偽は関係ない」という中国の反日感情の中で「田中上奏文」が拡散していったことです。同年12月には南京の『時事月報』という雑誌に掲載され、満洲事変以後、上海の雑誌『チャイナ・クリティック』が英語版の全文を掲載したことを切っ掛けに、アメリカでも同誌から抜粋した「日本の中国、米国、世界征服計画」という冊子が大量につくられ、新聞社や大学、公共機関、平和運動団体などに広く行き渡ることになりました。

日本政府は当初から偽書であるとして取り締まりを申し入れ、民間でも、1929年10月から11月にかけて京都で開催された第3回「太平洋問題調査会(IPR)」の会議で中国代表団が「田中上奏文」を〝公表〟したことに対し、日本代表の新渡戸稲造が文書のいろいろな誤りを指摘して偽書であることを示し、会議参加者を落ち着かせて、中国代表を説得の上で撤回させました。

IPRはもともと環太平洋地域の友好と学術研究の場として1925(大正14)年7月に発足したのですが、満洲の情勢をめぐる日中対立が深刻になるにつれ政治論争の場に変わっていきました。そこにはコミンテルンや中国、アメリカ共産党員らも関わって、それぞれの思惑が重なり合う標的として日本があったのです。

結果的に「田中上奏文」は日本の中国侵略・世界征服の計画書として世界に喧伝されました。戦後の東京裁判で戦勝国は、日本は軍国主義指導者たちの共同謀議に基づいて戦争を実行したという見方を前提にしました。検察団はそれを立証するため「田中上奏文」を持ち出し、ヒトラーの『わが闘争』と同様の文書と位置づけた上で、訴因期間とされた昭和3(1928)年1月から大東亜戦争降伏までの17年8カ月の間、歴代内閣と軍部が侵略戦争を計画・遂行したという筋書きで日本を追及しました。

しかし、この間の実相はまったく違います。たしかに満洲事変は大陸における日本の膨張政策の現われと映ったでしょうが、この期間は短命政権が続き、満洲事変から盧溝橋事件、支那事変へと続く流れも、その政策に具体的な一貫性や強い能動性はありません。田中義一から東久邇宮稔彦まで総理大臣は15人、近衛文麿の組閣3度を含め内閣は実に17回も代わっているのです。ヒトラーが率いたドイツ、ルーズベルトが大統領の座にあり続けたアメリカと比較すべくもありません。

1945(昭和20)年4月、日本の海軍は戦艦大和を失い、陸軍は沖縄防衛に苛烈な地上戦を米軍に挑み、全軍必死の航空特攻を続けていた頃、アメリカで「Blood on the Sun(血塗られた旭日)」という映画が封切られました。主演はギャングスターとして名高いジェイムズ・キャグニー。1930年代の東京を舞台に、キャグニー扮する「Tokyo CHRONICLE」の特派者が日本の世界征服の野望を知り、その計画を記した文書をめぐって恋人とともに日本の陰険、高圧的な官憲相手に正義の闘いを繰り広げる…という話です。

映画冒頭にこんな文章が――。
〈ヒトラーが世界征服に向かっていた頃、東洋のヒトラーの存在を知る人は少なかった。(日本の)タナカ・ギイチ首相である。
彼の計画の成功は極秘作戦にかかっていた。これはタナカ首相の陰謀を初めて暴いた――東京のアメリカ人記者の物語である。〉

キャグニーは、「日本軍侵略の被害国中国が極秘文書を入手/タナカ首相の侵略計画が暴かれた」と書くのですが、まさに「田中上奏文」の拡散に力を尽くした英雄的な「チャイナハンズ」の一人として描かれています。

「チャイナハンズ」というのは、米国内における親中国派の学者や外交官、ジャーナリストのことです。『チャイナハンズ』の著者ピーター・ランドは、その代表的な人物として『タイム』を創刊したヘンリー・ルースを挙げています(『ルーズベルト秘録』扶桑社文庫より)。
『タイム』は、1938年新年号で、前年最も活躍し、注目された「マン・オブ・ザ・イヤー」に蒋介石・宋美齢夫妻を選んでいます。当時、新年号の表紙を飾る人物にアジア系の人物を選んだことは欧米諸国の読者を驚かせました。

ヘンリー・ルースはアメリカ人宣教師の子供として中国で育ち、中国への思い入れが強かったのです。そして在中国の宣教師はアメリカにとって「情宣機関」の役割を果たしていました。渡部昇一先生は〈神の道を説く人たちだから、聖人のような人たちも少なくなかったと思われるが、安手の正義感から、単なる煽動者とたいして変わらない連中も多かった〉(『日本史から見た日本人~昭和編』祥伝社黄金文庫)と指摘しています。

ピーター・ランドは、第二次大戦前の中国で民主国家・中国のイメージが異様なほど高まったのは「出版界の神様ともいえるルースがたまたま中国に個人的なかかわりがあったためだ」とまで断じています。『タイム』の中国寄りの報道姿勢はそのまま厳しい日本非難となって、米国世論を主導しました。

この辺りのことを『ルーズベルト秘録』はこう書いています。

「チャイナハンズ」の最大の貢献は、民主主義の国(中国)が果敢に全体主義の国(日本)と戦っているというイメージを米国民に植え付けたことだろう。(略)米国民は最後まで日本を悪の帝国と信じて憎み続けた。キリスト教化した民主主義の中国を夢見るヘンリー・ルースのタイム誌は中国国民政府の蒋介石主席を三度も「マン・オブ・ザ・イヤー」に選び、九回も表紙の顔に起用して徹底した中国寄り報道を続けている。

『ルーズベルト秘録』

〈日本の悪玉イメージは、開戦から勝利まで米国民の憎悪をかき立て続け〉(同書)、1945年の4月、大戦の帰趨がはっきりしてもなお「Blood on the Sun(血塗られた旭日)」のような映画が受けたということは、当時の米国民の間でいかに日本の世界征服の野望が現実的な脅威として受け止められていたかを示すものと言えます。

ちなみにこの作品はいまもアメリカのビデオショップでは根強い人気があるそうです。日本ではさすがに劇場公開されませんでしたが、今日、Amazon.comなどで日本語字幕付きのDVD(邦題『東京スパイ大作戦』)を入手することは容易です。

さて、「田中上奏文」を日本断罪のための証拠として使おうと考えた東京裁判の検察団ですが、事実に照らしてみれば無理な筋書きで、開廷後程なく破綻しました。証人尋問を通じて偽造だと判明もしました。しかし、今日においても田中上奏文の内容は完全に否定されたことにはなっていません。中国の歴史教科書にはいまも載っています。

捏造であれ、誤報であれ、日本の名誉を損なう他国の情報発信に対しては毅然と反論し、粘り強く事実を発信することが不可欠です。昭和9(1934)年に邦訳が出た『世界列強のプロパガンダ戦』(実業之日本社)の著者フレデリック・エルモア・ラムリーは、同書で日本人は諸外国の宣伝に乗りやすく、プロパガンダに弱い国民だとして幾つもの例を挙げています。

ラムリーによれば、プロパガンダに極めて巧みなのはソ連、中国、アメリカ、ナチスドイツ、ムソリーニのイタリア、それにイギリスで、当時の大国のなかで日本だけがプロパガンダが下手で、プロパガンダの攻撃にも弱いと述べています。歴史の教訓を汲むなら、まさにこの点です。

今日においても日本はプロパガンダ戦を絶え間なく仕掛けられ、守勢に回ってばかりいます。隣国から突きつけられる慰安婦問題、徴用工問題に端的に現われています。戦前日本によって長崎市の端島(軍艦島)炭鉱に多くの朝鮮人労働者が強制連行され虐待されたという〝捏造〟が世界に向け発信されたのは2年前です。

韓国では子供向け絵本が刊行され、「軍艦島」と名付けられた映画も公開されました。約400人の朝鮮人労働者(中には少年もいる)が海面下1000メートル超、摂氏40度にも及ぶ炭鉱で奴隷同然の過酷な労働を強いられ、耐えかねた彼らはこの「監獄島」から脱出するため悪鬼のような日本人に戦いを挑む――という話で、公開前から「史実に基づいた映画」と大々的に宣伝されました。

しかし、当時日本の炭鉱で朝鮮人の少年坑夫が強制的に働かされていたという事実は存在しません。昭和13(1938)年に施行された「国家総動員法」に基づき、翌年、国民を軍需品生産などの総動員業務に従事させるための勅令として「国民徴用令」が出されました。官憲が銃剣を突き付けて国民を駆り出すようなものではなく「白紙」と呼ばれる令状による召集です。朝鮮半島の日本国民に徴用令が適用されたのは昭和19(1944)年9月からで、それまでは「募集」と「官斡旋」が主体であり、官憲が彼らを強制的に連行することはあり得ないのです。

慰安婦の少女像だけでなく強制連行された少年炭鉱夫という捏造を韓国が思い立ったのは、端島炭坑など「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界文化遺産として登録されたことに対する彼らの強い反発があります。プロパガンダ攻撃に弱い外務省は、ここでも韓国に〝配慮〟して「朝鮮半島などから多くの人が意思に反して連れてこられ、厳しい環境で労働を強いられた」と表明したことが仇になっています。

端島炭鉱はけっして「監獄島」ではなかったことを日本政府は「確たる事実」として世界に発信していく必要があります。すでに欧米メディアは「奴隷労働」という言葉で報じるようになっているのです。何もしなければ、日本は甚だしい人権侵害を組織的に行った国であるという誤ったイメージが国際社会に拡散され、偽造された「田中上奏文」がもたらした災厄と同じようなことが降り掛かってくるでしょう。令和の時代は、情報戦、宣伝戦に負けない日本でありたいものです。

【上島嘉郎からのお知らせ】
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●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。
・平成31年3月22日〈忘れた事と忘れさせられた事/ニュージーランド銃乱射事件の複雑な構造〉
https://www.youtube.com/watch?v=gxhAL98xrE0
・3月29日〈文議長不敬発言とドイツ終戦40周年演説の真実/医療の未来を妨げるメディア〉
https://www.youtube.com/watch?v=6FqioasGJvk
・4月24日〈真の言論の自由を取り戻そう/日本の心「民のかまど」を受け継ぐ令和の時代〉
https://www.youtube.com/watch?v=j0KxMEAXjC0