「ライズ・アップ・ジャパン」4月号を御視聴の皆さん、番組中に「メルマガで」とお約束した、大東亜戦争の終戦の詔書に秘められた昭和天皇の決意と、それに「臣」として呼応した出光佐三(出光興産創業者)の終戦後の全店員への演説に関する話の補足をさせていただきます。

そもそも日本は、連合国軍に完膚なきまでに叩きのめされて、膝を屈して和を乞うようにポツダム宣言を受諾したわけではありません。たしかに広島、長崎に原爆を投下され、日ソ中立条約を破ったソ連に侵攻されるなど瀬戸際に立っていたことは事実ですが、戦う気概も、それなりの戦力も残っていました。

終戦の詔書で昭和天皇は国民に何を訴えられたか。

「(前略)堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲(ここ)ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ(中略)

総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」

ポツダム宣言が日本の「国体」護持を保証していたかどうか。昭和天皇が「茲ニ国体ヲ護持シ得テ」と語ったのは、果して希望的観測だったのか。そうではない。その理由は番組内でお話ししたとおり、いわゆる「ザカライアス放送」の内容を昭和天皇が承知していたからで、この経緯は有馬哲夫・早稲田大学社会科学部教授の「天皇のインテリジェンスが國體を守った」(『歴史問題の正解』新潮新書)に解き明かされています。

昭和天皇は、ただ国民に「終戦」という安心をもたらそうとしたのではない。「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」というのは、天皇の確信の表明であり、その後のお言葉は、国民とともに苦難の道を歩まれる強い決意の吐露です。

昭和20(1945)年8月14日の御前会議で、昭和天皇は国体問題について触れ、「先方の態度に一抹の不安があるというのも一応はもっともだが、私はそう疑いたくない。要は我が国民全体の信念と覚悟の問題である思うから、この際先方の申し入れを受諾してよろしいと考える」と述べられました。

これは抗戦派を治めるためであったとの通説がありますが、それよりも、「忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ」とあるように、「我が国民の信念と覚悟」を信頼し、我が身もそれとともにある、それで十分ではないか、ということに尽きるのではないでしょうか。したがって、「誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」となるわけです。

この昭和天皇の思いと決意を、直接見(まみ)えたのでないにもかかわらず、見事に汲んだのが出光佐三でした。

「石油の一滴は血の一滴に値する」とは、第一次大戦中にフランスの首相クレマンソーがアメリカ大統領ウィルソンに宛てた電報の一節です。大東亜戦争も、日本が戦わざるを得ないと決断した最大の現実はABCD包囲網による石油の輸出禁止措置にありました。エネルギーをいかに確保するかは国家存立の根幹問題で、それは昔も今も変わりません。日本にとってのエネルギー問題に石油事業を通じて生涯を捧げたのが出光佐三で、彼が創業した出光興産の歩みは、一私企業の枠を超えて、近代日本の苦闘に重なるものです。

百田尚樹氏のミリオンセラー『海賊とよばれた男』は出光佐三をモデルに描いた小説で、作中で出光佐三は、国岡鐡造となっています。「玉音放送」からわずか2日後、「焦土となった国を今一度立て直す」決意をした佐三は店員たちにこう演説します(出光興産では佐三を「店主」、「社員」を「店員」と呼んでいました)。

〈私はこの際、店員諸君に、三つのことを申し上げます。

 一、愚痴をやめよ。

 二、世界無比の三千年の歴史を見直せ。

 三、そして今から建設にかかれ。

 愚痴は泣き声である。亡国の声である。婦女子の言であり、断じて男子のとらざるところである。ただ昨日までの敵の長所を研究し、とり入れ、己れの短所を猛省し、すべてをしっかりと肝の中にたたみこんで、大国民の態度を失うな。

 三千年の歴史を見直して、その偉大なる積極的国民性と、広大無限の包容力と、恐るべき咀嚼力とを強く信じ、安心して悠容迫らず、堂々として再建設に進まねばならぬ。〉
(『出光五十年史』、木本正次『出光佐三語録』ほか)

 演説のこのくだりには前提があります。小説には詳しく触れられていませんが、佐三は店員たちにこう語っているのです。

〈十五日正午、おそれ多くも、玉音を拝し、御詔勅を賜わり、涙のとどまるを知らず、言い表わすべき適当な言葉を持ち合わせませぬ。

万事は御詔勅に尽きている。陛下は限りなき御仁慈を垂れたまいて、悪魔の毒手から赤子を救わせたもうたのである。(中略)戦争は消えたのであって、勝負は決していない。〉(同)

 明治18(1885)年生まれの佐三にとって、大東亜戦争の意味は十分にわかっています。戦争は望まぬが、祖国が戦うと決意した以上、戦いの3年8カ月を「出光」の全力を挙げて戦争完遂に協力しました。徴用令に応じて蘭印地区に店員を送り出し、彼らは国のため、店主(佐三)のため挺身しました。戦地に赴いた店員たちの身はどうなっているのか。活動拠点の多くを海外に置いていた出光にとって日本の敗戦は自らの資産を失うことを意味しました。会社自体の存続が困難な状況下、佐三の信念は不動でした。

〈原子爆弾は聞けば聞くほど恐ろしい破壊力である。毒ガスなどと比較すべき程度のものではない。広島のような使い方を続けられたら、無辜の日本人は大半、滅するであろう。(略)

この兇暴なる悪魔の大虐殺が、日本民族絶滅のために連続使用されるとなれば、かりに戦局が日本に有利に進展しつつある場合たりとも、やはり戦争はやむのである。原子爆弾によって戦争は消えたのであって、勝負は事実の上において決していない。ただ日本が敗戦の形式を強要されたに過ぎないのである。(略)

戦争の旗印は正義人道である。米国は殊にこの点を強調してきた。正義人道の旗印を目標として争っておるところが戦場である。この旗印が撤去抹殺されたところは、もはや戦場ではなく、戦争は消えたのである。(略)

ダムダム弾や毒ガス程度のものさえ、戦争には禁ぜられている。国際条約により禁ぜられておる以上のものを、武器として研究することは既に条約違反であり、正義の放擲であり、人道の無視である。さらにこれを製造し、戦場に使用するは罪悪である。さらにさらに、これを無辜の市民に無警告に用うるにいたっては、人類の仇敵として一日も許すべきでない。米国がその肇国の国是たる正義人道をみずから放擲したのは、みずから敗けたりというべきである。〉(同)

佐三は8月12日に家族の疎開先だった栃木県の松田町を訪れ、そこで15日の玉音放送を聞きました。天皇への敬愛の念深く、「神国日本」の歴史に矜持を抱く佐三にとって、ポツダム宣言の受諾と、昭和天皇の言葉はいかばかりの重さだったか。

佐三はしかし、「必ず起ち上がる」ことを決意し、それを抱いて16日東京に戻り、17日朝、店員に前述のごとく語りかけたのです。しかも佐三はこの演説を速記させ、ガリ版刷りにして全店員はもちろん、友人知人にも配りました。そのガリ版刷りを貰った者たちはみな驚き、知己の参謀本部のある少将などは、「こんなものを印刷して進駐軍に見られたらどうするのだ、すぐに回収して焼くべきだ」と〝忠告〟しましたが、佐三は「そうかなあ」と笑って相手にしなかったといいます。

「戦争は消えたのであって、勝負は事実の上において決していない」

日米戦争の歴史的意味を解し、同時にこの烈々たる気概の持ち主が率いた会社であればこそ、後年の「日章丸事件」がありました。

日章丸事件とは、出光興産が昭和28(1953)年、油田を国有化したために英国などの怒りを買って海上封鎖されたイランのアバダンにタンカー日章丸二世を極秘裏に送り、ガソリンと軽油を満載して日本に無事寄港してのけた一事です。

敗戦国の日本の一民間企業が英米の巨大石油資本に挑んで出し抜いた快挙で、日本国民を勇気づけるとともに、のちの日本とイランの関係構築にもつながりました。

〈終戦により大東亜地域に於ける出光の全事業は消滅したのである。(略)然るに私をして軽々と全店員を罷めさせないと言明さしたのは、もちろん大家族主義にもよる事であるが、其の実、店員諸君が私の口を借りて自ら言明したと見るべきである。即ち人の力である。私は事もなげに出光の復興を信じて居た。(略)私の心の底に潜在して居る人の力に対する信頼感が斯く言わしめたのである〉(前掲書)

一人も馘首しない――こうやって佐三が守った店員たちがいかに奮闘したか。日章丸がイランに向かうことは船長と機関長しか知らない。船員たちは本当の目的地を知らずに出航する。そしてセイロン沖で暗号電文を受信した船長が、この船の目的を英国の海上封鎖を突破してイランから石油を積み出すことだと告げると、船員たちは「日章丸、万歳! 国岡商店、万歳! 日本、万歳!」と叫ぶ。

これは『海賊とよばれた男』での描写ですが、百田氏はこの場面について私にこう語りました。

〈このくだりを書きながら何度も泣きました。己一個の人生の充実、幸福なんてどうでもいいとは言いませんが、己一個を超えたところに繋がる人生がある。国岡鐡造(出光佐三)、そして鐡造を支えた男たちの凄さと、今の日本人は繋がっているのだということを知らせたかった。それは『永遠の0』の宮部久蔵の物語も同じで、孫の慶子、健太郎と宮部が繋がること、過去と現在の日本が断ち切られたままではなく、ちゃんと繋がらなければいけなかった。俺たちの祖父は狂信者ではない、苛酷な時代を懸命に生き、自分以外の誰かに人生を捧げたのだと。〉(『別冊正論』第21号)

「平成」の御世から「令和」の御代へと歩んでゆく私たちも、同胞として出光佐三の志、気概と繋がっているはずではないか。

昭和天皇は、終戦翌年の「歌会始」でこう詠まれました。

ふりつもるみ雪にたへて色かへぬ

松ぞ雄々しき人もかくあれ

そして…、昭和56(1981)年に佐三が95歳で亡くなると、その死を悼んでこう詠まれました。

国のためひとよつらぬき尽したる

    きみまた去りぬさびしと思ふ

「君」と「臣」の黙契が、ここに現われていると思うのは私だけでしょうか。誰もが佐三のように生きられるわけではない。しかし、そうありたいと決心する日本人が少しでもいれば、我が国はどんな困難に直面してもそれを乗り越える原動力が確かにあるはずです。

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