前回の配信から1週間以上経ってしまいました。申し訳ありません。今回は私事を書きますので、「関心ないヨ」という方は、甚だ恐縮ですが御放念ください。

〈お知らせ〉に記したように、「HOTEL MONTBLANC(ホテル・モントブランク)」という舞台に出演するため、連日稽古場に通っています(7月24日~28日/東京六本木・俳優座劇場)。

「人生は、人との出逢いで回る風車」と思って生きてきました。勝野洋さん、キャシー中島さん、勝野雅奈恵さん、洋輔さんの「勝野ファミリー」との出逢いから、齢六十にして人生初の経験をすることになりました。

産経新聞社にいた頃から、私は普通の会社員ではいられませんでした。格好をつけるわけではありませんが、いつもはみ出していました。上司からは厄介がられ、同僚からは嫌われた…。少なくとも、好かれる存在ではなかったと思います。

そうしたはみ出しの一つを思い出すと…もう15年近く前になりますか、フジテレビ系列の人気ドラマ「世にも奇妙な物語」の一本に、女性新聞記者が出る話があって、大手町のサンケイビルの編集フロアがロケに使われることになり、その時メガホンをとっていた旧知のディレクターから「先輩、ちょっと出てくださいヨ」と云われ、上司役でチラリと出たことがあります。

亡き母は、歌手になりたかったひとで、ギターを爪弾きながら美空ひばりの歌をよく歌っていました。娘時代にその希望を母親に云うと、即座に「河原乞食にでもなるのか」と云われ、結局諦めたと語っていました。もう半世紀以上前に聞かされた話ですが…。

その代わりというか、母は私を芸能人にしたいと思った時期があったようで、少年時代はよくおだてられましたが、私のその頃の夢はプロ野球の選手か漫画家になることで、その気にはなりませんでした。母が鬼籍に入って十数年、こんな機会が訪れるとは…。ホント、人生は、何があっても面白い、と思って生きることですね。

私の「はみ出し」を応援してくれたのが石原慎太郎先生でした。私に話してくださったこと、御著書の中でも語られているので正確にお伝えします。石原先生が『太陽の季節』で世に出、一躍流行作家として走り出した若き日です。

〈娯楽小説から映画の脚本、出演、それに講演と口のかかるものは皆経験のため引き受けこなしていた。何でも体験しながらこの一年間だけは敢えて飛んだり跳ねたりして、一年経ったらすっぱりやめて初めての長編小説に取り組もうと心に決めていた。

 そんな決心の基盤は、芥川賞をもらった時、伊藤整氏が、「君は今とても良い人生の時期にいると思いますよ。この際、文学以外のことでも興味が湧くものは何でもやったらいいと思うな。作家というのはね、他人がなんと言おうと好きなことを勝手にやったらいいんです。あなたなんかこれからきっとそういう機会がいろいろくるだろうけれど、なに、それをやってみて失敗したところで作家なんだから、今度はなんでそれに失敗したかを書いたらいいんです。作家というのはしたたかな商売なんだから」と言ってくれた言葉だった。いかにも伊藤氏らしいクールで皮肉な忠告だが、あの言葉ほど私を勇気づけ、人生に対しての身の構え方を直截に教えてくれるものはなかった。

 ということで、私は実際にその通りに自分を仕切っていったし、呆れるほど多岐にわたる過密スケジュールをこなしていた。映画監督として第一回作品『若い獣』を、数多の障害を乗り越えて完成させたのは昭和三十三年だったが、同じ年に一橋大学の自動車部の後輩学生四名を引率して隊長として南米大陸をスクーターで横断したりもしている。最初の長篇小説『亀裂』を刊行したのもこの年だ。文学以外のいろいろ得難い体験もし、そこでしか得られぬさまざまな人間関係も獲得出来たものだった。〉(『歴史の十字路に立って』PHP研究所、平成27年刊)

石原先生には遠く及びませんが、『正論』という雑誌の編集だけでなく、他の出版社の友人と語り合って何十冊かの書籍づくりに関わったり、舞台劇(「俺は、君のためにこそ死ににいく」等)や映画の上映会(〈「正論」シネマサロン〉)を企画したりと、とにかく飛んだり跳ねたりした結果、〈いろいろ得難い体験もし、そこでしか得られぬさまざまな人間関係も獲得出来た〉ように思います。

さて、「ホテル・モントブランク」は、神奈川県逗子市に実在した「なぎさホテル」がモデルです。大正の末年に湘南地方初の洋式ホテルとして建てられ、皇族がお泊りになる宿としての格式を保ちつつ、多くの文化人に愛された知る人ぞ知るホテルです。戦後の一時期は米軍に接収されましたが、占領の終了とともに復興の光の中で再起します。「太陽の季節」の舞台として、若者がこぞって訪れるようになり、「ホテル・モントブランク」原案者のキャシー中島さんの青春の思い出もそこにあります。

伊集院静さんの自伝的随想録『なぎさホテル』を連想された方も少なくないでしょう。

大正ロマンに幕を開け、昭和の終わりとともに姿を消した「なぎさホテル」。ひとことで云えば、時代の変化についていけなかった…ということなのでしょう。しかし、それはその存在に意味がなかったということではない。

「ホテル・モントブランク」は、グランド・ホテル形式の物語です。時は1982年。昭和57年です。戦争を生き抜いた2人の男、父の遺産を守ろうとする姉弟、悲しみを抱いて心惑う女、青春の夢を追う若者…様々な人生の断片が描かれ、そこにある強さと弱さ、優しさと残酷さ、愛しさと哀しさ…それらが交錯し、人の世を映し出す。そして、人はどう生きるべきか――。

ノスタルジィという言葉があります。それはただ「懐古」や「郷愁」ではない。

「本来のノスタルジィは追体験が出来るようなかたちで何かを提示すること、その事柄自体も追体験に値するようなことがノスタルジィという言葉に相応しい。」

こう教えてくださったのは長谷川三千子先生(埼玉大学名誉教授)でした。

まさに、「ホテル・モントブランク」は、ただ昭和という激動の時代と人を懐かしむのではない。人は誰しも「未来と自分」を信じて生きること、けっして絶望してはいけないことを、令和に生きる日本人の大切なノスタルジィとして描く作品です。

この舞台は勝野洋さんの「古希記念舞台」と銘打たれています。中学生の頃、夢中になって見ていた「太陽にほえろ」、そのテキサス刑事も令和元年に古希を迎えます。その人と、出番はわずかとはいえ共演できるとは…(私は、実人生に重なる新聞記者の役です)。いやはや、人生はいつ何時、ドキドキわくわくすることに出逢うかわからない。それは皆さんの人生においてもきっと同じです。

もしこの舞台に関心を持ってくださったら、そして時間と懐具合が許せば、俳優座劇場にお運びのほどお願い申し上げます。

(次回は、先頃亡くなられた竹村健一先生について書きます。)

【上島嘉郎からのお知らせ】

●「勝野洋 古希記念舞台公演 HOTEL MONTBLANC(モント・ブランク)に〝役者〟として出演します。(7月24日~28日/会場・東京六本木「俳優座劇場」、出演は勝野洋、尾藤イサオ、壱城あずさ他)

[公式HP]

http://www.birdlandmusic.co.jp/hotel/index.html

[チケット申し込み]

http://www.birdlandmusic.co.jp/hotel/ticket.html

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・6月19日〈令和日本・再生計画~安倍内閣検証編~/令和に顧みる南洲翁遺訓〉