令和3年も残すは大晦日だけとなりました。

〈大晦日 ここに生きとし 生けるもの〉

高浜虚子の句ですが、皆さんもそれぞれの感懐をもって区切りの時間を過ごされていることと思います。

「ライズ・アップ・ジャパン」を御視聴いただき、まことに有難うございました。

さて、平成23年(2011)12月31日に松平康隆さんが亡くなられました。10年前です。松平さんの名を知らない方もおられるでしょう。

バレーボール全日本男子監督として1972年(昭和47)のミュンヘン五輪で金メダルを獲得した名将です。

当時中学生だった私は、深夜のテレビ中継で全日本男子チームの戦いぶりを食い入るように見ていました。野球少年でしたが、松平さんが企画・立案したテレビアニメ番組「ミュンヘンへの道」(TBS系)の大ファンで、バレーボールにも熱中しました。

その憧れの松平さんに、後年お会いすることになろうとは夢にも思いませんでしたが、人が生きる世には「縁」というものがあるようで、親しくお話を伺ったり、食事を御一緒したりする機会に恵まれました。松平さんの著書『負けてたまるか』(柴田書店、昭和47年)や『わが愛と非情』(講談社、同)などは十代から二十代後半にかけての愛読書でしたが、『正論』の編集者として、そこに書かれた話についてより詳しく聞かせていただきました。

松平さんは私の人生における師の一人であり、とても感謝しています。これまでの「ライズ・アップ・ジャパン」でも松平さんには何度か触れましたが、そのうちの一つの話を、改めて文章としてより正確に皆さんにお伝えしたいと思います。東京五輪が開催された令和3年の締めくくりに、今の日本に何が決定的に欠けているのかを覚らせる話です。

以下、松平さんの語り――。

〈1968年(昭和43)の〝プラハの春〟のとき、自由化を押し潰すためにソ連がチェコスロバキア領内に戦車で侵入してきた日に私たち全日本男子バレーボールチームは現場にいました。プラハの南150キロのチェスケブデオビッツニアという街ですが、チェコのナショナルチームとの最後の試合を終え、ヨーロッパ遠征最後の訪問地スイスに向かうというその日の朝早く、チェコのチームドクターの「タンク、タンク…、ロシアのタンク、ロシアのサマトリア(飛行機という意味のロシア語)」という慌ただしい声に叩き起こされました。

私は事の次第を一瞬のうちに飲み込みました。1週間前にソ連とチェコスロバキアの首脳会談が行われ、表向きは話がついたかに見えていましたが、その実、両国の間には大変な危険をはらんでいることが、チェコ国内を転戦しながらいろんな人たちから教えられていたからです。この問題について遠征中選手とミーティングを開いて、チェコの自由化とソ連の軍事介入の可能性について勉強してあったので、私は急いで選手たちを起こした。

ラジオのスイッチをひねると、プラハ放送が悲痛な叫び声を上げていました。「今ソ連のタンクがわが国全土に侵攻を開始しました。この放送局の入り口にも今まさにロシアの兵隊が入ろうとしています。タンクが侵入しようとしています。この放送もあと1時間とは続けられないでしょう」。続いてスボボダ大統領の「国民に告げる」という演説が始まりました。

片言の英語で通訳してもらったところでは、「もう手遅れだ。無駄な抵抗をして昔のハンガリー動乱の二の舞を起こしてはならない。ソ連の軍隊はすべて国内に入り込んでしまった。今抵抗することは無益な殺生をすることに等しい。苦しく、暗い、しかし耐えなければならない時代がふたたびやってきたのだ」と大統領は叫んでいたという。そしてアナウンサーが、いよいよチェコスロバキア自由放送の最後の声だと言いながら、国歌の演奏が始まりました。

その頃には、私たちは日の丸を付けたブレザーを着て宿舎の中庭に集合していました。チェコのナショナルチームのマティヤシック監督以下選手たちも続々集まってきた。空にはソ連の戦闘機が飛び交い、ラジオ放送から流れる国歌に交じってプラハの街を銃撃する爆発音が聞こえた。チェコの選手たちは涙を流しながらも拳を振り上げ、「チェコスロバキア万歳」と叫んでいました。あのときの彼らの姿は今も忘れられません。

とにかく私は、日本の選手団を無事にチェコの国外に連れ出さなければならない。プラハの日本大使館に電話をすると、幸いにも通じましたが、その答えは「今プラハに来られてもどうにもなりません。ソ連のタンクがひしめいています。あなた方がチェスケブデオビッツニアにいるなら、そこから何とか国外に直接出られる方法をとられたらいいでしょう」という素っ気ないものでした。

地図を見ると中立国オーストリアのリンツに向かう道がいちばん近いことが分かりました。早速バスを仕立ててもらうように頼み込んだんですが、バスの運転手は誰も尻込みして引き受けようとしない。でもそれは無理もなかった。そうした状況の中を国境に向けてバスを走らせるということは逃亡と見なされるからで、上空にはソ連の戦闘機が飛び交い、後方の道路からはタンクが迫ってきている。爆撃、砲撃されても仕方がない状況なんです。しかし、そのとき尻込みする運転手たちをマティヤシック監督は激しく怒鳴りつけた。

「日本チームはわれわれの友人だ。この事件は彼らには関係のないことだ。無事国外に送り届けなければチェコスロバキアの恥になるぞ」

 彼は真っ赤な顔をして言いました。それを聞いた一人の運転手が「よし!」と言って引き受けてくれた。私たちは直ちにバスに乗り込みました。ところが私たちだけかと思ったら、マティヤシック監督以下チェコの全選手も乗り込んできたんです。「あなたたちも一緒に国外に出るのか」と尋ねると、彼はこう答えました。

「いや、そうではない。この国は私の、私たちの国だ。君たちが無事に国境を通過してオーストリアの地に出るのを見届けたら、私はプラハにすっ飛んで帰る。銃撃や爆撃の音がしている。私の妻や子供がどんなことになっているか、本心を言えば心配で仕方がない」

彼らはみんな家族に思いを馳せていたでしょう。それでもそれぞれの郷里に引き揚げようとはせずに、私たち日本チームの全員を国境まで送るという。約1時間半。バスの中の重苦しい空気は、これもいまだに忘れられない。森を抜け、小高い丘の上にようやく国境守備隊の兵舎が見えたとき、そこにはまだチェコスロバキアの国旗が翩翻(へんぽん)とひるがえっていました。それを目にした瞬間、チェコ、日本両国の選手たちは肩を叩き合い、手を取り合って喜んだ。彼らはまさに号泣し、私も、他国の国旗をあんな思いで見つめたのは初めてでした。

私は国境で別れるマティヤシック監督に、「何と感謝していいか分からない。本当にありがとう」と何度も何度も礼を言いました。すると彼は、「君たちと俺たちとは友達だ。友情には限りがない」。そう言って私の手を握り、太っちょの、90キロもある巨体を揺すぶってにっこり笑って見せた。数年前、彼の訃報に接しましたが、その分厚い手の感触は今も懐かしく思い出されます。〉

さらに松平さんは〈そんなこんなの経験をした中で、私の結論を申し上げると、世界中のあらゆる国は、当然のように自国の利益追求という原理で動いているということです。個人の間の友情はともかく、自国の利益、権益を棚上げしてまで他国を慮るような国はない。互譲を謳ったり、インターナショナリズムを喧伝したりするのは一種の方便で、どこまでもナショナリズムの鬩(せめ)ぎ合いの結果生じているのがインターナショナルな世界だというのが私の認識なんです。日本だけにそうした感覚が欠落しているとすれば、こんなに危ういことはないでしょう。

愛国心の希薄なことを国民の成熟の現れと評する人たちが、私にはこれまたよく分からない。果たしてそうでしょうか。よくフランスは〝大人の国〟と言われますけれど、あの国民もまた、強い愛国心を往々発露しているじゃないですか。サッカーのワールドカップや欧州リーグへの熱狂ぶりを見ても、歴然としていますよ〉と。

私は、自分の役割を「良き容れ物」、先人の意義深い言葉を後世に伝えるための「器」でありたいと思っています。独自の意見と思ったことが、すでに先人の語りのなかにあることを再々見つけ、私は己の分限として「器」になることを決めました。時には、器のなかに蓄えた先人の言葉の数々から化学反応が起きて、私なりの考えが生まれることもありますが、源(みなもと)がどこにあるか、学恩を忘れてはならないと戒めています。

改めて松平さんの御冥福をお祈りするとともに、後世の日本人に誇りと気概を示してくれた先駆の労に深く感謝するものです。

「ライズ・アップ・ジャパン」を御支援くださる皆さんは、「生きている者の天下」である今の日本と世界において間違いなく絶対的な少数者です。私の話には現世での得もありそうにない。損得勘定から最も遠い処にいます。それでも構わないと思ってくださる方々には、本当に忝(かたじけ)く、以て励みといたします。

どうか良いお年越しをされますように。

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