寒さが増して、野山も街なかも晩秋の色が濃くなってきました。
どうぞ御自愛ください。
配信中の「ライズ・アップ・ジャパン」11月号で「財閥」について少し話をしました。やや唐突な印象があったかと思います。
今日の緊縮財政の根底にあるのは、まさに「戦後体制」で、「降伏後における米国の初期対日方針」の「究極の目的」に示された〈日本国が再び米国の脅威となり、または世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にすること〉の一環です。
財政法第4条(国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。)がその典型で、その背景などは詳しくお話しましたが、他にも、予算を年度内に使い切ることを原則にした単年度主義を採っている問題があります。
繰り越しを〝特例〟とする単年度主義では、国力増進のために中長期的な計画を立て、その全体から収支を考えるという発想が制約されます。また、年度内の予算執行に拘りすぎると、「余らせるくらいなら使い切ってしまおう」と無駄な事業に予算が執行されることにもなります。逆に、短期間では事業の成果が判定できない研究開発などの分野では中長期の資金確保が難しくなります。少しでも有効な運用を考えるなら柔軟性が必要で、そこに政治の意志が働くことが重要です。
現行憲法第7章は財政に関する条文が並びますが、第86条に「内閣は毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」と規定されています。これは、大東亜戦争以前に軍事費が特別会計で複数年度にまたがっていたこと、「戦争抑止」のチェック機能が十分に働かずに軍事費が膨張した反省を踏まえたものとされています。
たしかに軍事費が無制限に拡大するようなことはあってはならない。けれども同時に、主権国家がその存亡を懸けて戦争を決意したら、そのための戦費を調達するための方途があって然るべきなのです。国民の意志によって、国家の置かれた状況に柔軟に対応できるような財政の実際こそを見なければなりません。
法治国家である限りは法を守らなければならない。同時に、法に不備があればそれを改めてゆく。戦後の日本はその自由を自ら制約しているのです。憲法9条が象徴的であることは論を俟ちませんが、現行憲法以下の法体系が〈日本国が再び米国の脅威と〉ならざることを目的にしているにもかかわらず、それを戦後の日本人は「平和国家の実現」と思い込んでいることに気づかない限り、主権国家たる日本の自由は取り戻せないでしょう。
さて、戦前の財閥について、戦後の日本人は「国民を搾取し、愚かな戦争に巻き込んだ軍国日本の一翼」といった負の印象しかないのではないでしょうか。たしかに当時の財閥の規模は非常に大きいもので、昭和12年(1937)時点で、全国の会社の株式の内、三井が9・5%、三菱が8・3%、住友が5・1%、安田が1・7%と合計で24・6%を占めていました(中村隆英『昭和経済史』岩波現代文庫)。
戦前の日本社会に対する米国側の認識は、封建的な残存物が多く、国民はその封建的な抑圧のために生活水準を押し下げられている、その生活水準の低さから国内市場が狭く、したがって日本は軍国主義的、帝国主義的な侵略行動に走ったのだというものでした。
GHQは財閥を好戦的勢力とみなし、「初期対日方針」に「日本の商工業の大部分を支配する産業と金融のコンビネーションを解体する」とあるように、昭和20年(1945)9月末、三井、三菱、住友、安田の四大財閥に、傘下企業を統括する本社を解体する方針を伝えました。財閥側は抵抗を試みますが、11月6日にGHQの経済科学局は日本政府に、三井、三菱、住友、安田の四大財閥の本社解体案を発表させます。財閥家は未成年の家族まで含め全部追放の扱いになりました。
GHQが好戦的とみなした財閥ですが、たとえば当時、三井本社の総務部次長だった江戸英雄はこんな述懐をしています。
「満洲事変の頃から平和主義とか自由主義とか親米主義とかいわれ、軍や右翼あたりからとかく白眼視され、圧迫を受けてきた。敗戦は三井が得意とする平和産業に回帰する機会であり、米英からの風当りも悪くないであろうと考えていた。」
対するクレーマー経済科学局長は、三井の首脳に窓外の戦災者を見せ、「三井家の人間に一般の戦災者以上の生活はさせない」と云い放ったという逸話もあります。急進的な社会主義的政策は革命的な色彩を帯び、旧財閥に対する憎悪が感じられると云って過言ではないでしょう。
ちなみに江戸英雄は、GHQとの折衡にあたり、〝三井〟の商号を守り抜く中核となり、その後は三井不動産に入り、昭和30年(1955)社長に就任すると、31年に清算中の三井本社を合併、以後〝三井の番頭〟として指導力を発揮した人物です。
「財閥」という言葉を辞典で引くとこんな説明がされています。
〈財閥は学閥、藩閥などと同様に明治時代に造成されたジャーナリズム用語で、当初、出身地を同じくする財界人グループの共同的事業活動をさすことばとして使用されたが、その後、時代を経るにつれて、三井、岩崎(三菱)、住友などの大富豪、あるいは彼らの支配下で営まれる事業体を、財閥とよぶようになった。〉(小学館 日本大百科全書[ニッポニカ])
財閥の発展期として〈起源を江戸時代・明治初期に求めることができ、明治年間を通じて経営基盤を確立した既成財閥ないし旧財閥とよばれるグループ――三井、三菱、住友、安田、古河、浅野、川崎(八右衛門)、藤田など。〉の名を挙げます(同)。その後、明治中頃、末期、大正時代に創業した財閥の説明が続くのですが、財閥は明治開国後の我が国の政策「富国強兵」「殖産振興」とともにありました。
国内産業力の充実強化には資本の蓄積が不可欠でした。力を束ね、それを国力増進に集中させる――。
明治海軍を創った山本権兵衛の方針は、軍事力と重工業の振興による海洋国家の建設でしたが、その国家観に共鳴したのが福澤諭吉です。福澤は海軍拡張に熱烈なる支持を表明しました。
明治14年(1881)の『時事小言』でこう語っています。
〈兵力の戦争は戦争の時の戦争なれども、茲(ここ)に又、太平無事の時に当て工業商売の戦争あり。〉
〈貿易商売を助ける一大器械あり。即ち軍艦、大砲、兵備、是なり。〉
〈抑(そもそ)も我輩が海軍拡張を唱ふるは戦争侵略の目的にあらず、全く自国自衛のために外ならざる次第……其(それ)自国自衛とは即ち商工立国の目的を全うせんとする一事のみ。〉
〈英国同様、専ら工業製造を勉め、大いに航海を奨励して外国貿易を盛んにし、以て国の富強をはかる……〉
製造業を興し、商社をつくって貿易を拡大する。以て富国強兵を図る。それらを担う中心に江戸時代に淵源する三井や住友などが参画しました(三菱は幕末)。日清・日露戦争に勝ち、有色人種唯一の近代国家として屹立し、白人列強に伍する存在になった明治日本は、こうした気概と実践に支えられていたわけです。この中核にあった自立の精神を含めた物心の諸々を破壊する目的の中に財閥解体もあったのです。
挿話を二つ。
坂本龍馬と深い付き合いのあった岩崎弥太郎が三菱の創業者であることはよく知られています。以前の「ライズ・アップ・ジャパン」でも話した記憶がありますが、弥太郎は明治維新直後に本格的な海運会社を興します。海援隊が使用していた船など土佐藩の遺産を引き継ぐ形で三菱商会をつくりました。
龍馬との関係から弥太郎は明治政府に知己が大勢いました。政府から補助金を得て事業を拡大してきますが、それは福澤諭吉が説いた「立国は私なり」に重なり合うように、国力増進に資していきます。
明治政府は明治7年(1874)、三菱商会に多額の補助金を出して上海航路(横浜~上海)の開設を命じます。当時、上海航路はアジアの重要航路でしたが、米国の太平洋郵船がドル箱路線としてほぼ独占していました。三菱はこれに参入して、太平洋郵船と熾烈な競争を繰り広げ、同社に撤退を決意させるまでになりました。日本政府が交渉に入り、太平洋郵船の船舶と港湾施設を買い取り、数年の内に日本の沿岸航路から外国の船会社を駆逐したのです。
これは坂本龍馬が考えていたことでした。幕末の日本沿岸の船舶輸送は英米が大半を支配していました。長崎~横浜などの主要な内国航路も、英米の巨大な資本力による大型蒸気船の独擅場で、日本の中小事業者では太刀打ちできなかったのです。龍馬がその対抗策として薩長などから資金を集め、大型船を手に入れて瀬戸内海の物流を握ろうとしたのが、海援隊、亀山社中の前身とも云える下関商社の構想でした。それを引き継いだ岩崎弥太郎の三菱商会は、まさに船舶事業を足がかりに巨大財閥に成長していきます。もちろん、その歩みには光と影がありますが、影のみを強調し、それがすべての如く見るのは間違っています。
もう一つの話は時代がだいぶ下ります。
航空自衛隊の支援戦闘機F2の開発当時のことです。三菱重工の社長、会長をつとめた飯田庸太郎氏(故人)は、「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味はない。儲かるからやる、儲からないからやらないではなく、もって生まれた宿命と思っている」と語ったと伝えられています。
戦後の防衛産業を維持してきた三菱重工やIHI、川崎重工、富士重工などの民間企業のルーツも旧財閥にあります。戦後のGHQの財閥憎悪に対し、今日の私たちはもう少し俯瞰する視点を持ちたいものです。
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