「時事問題に触れつつ日本人の生き方を探る」と云うテーマを掲げて始めた「ライズ・アップ・ジャパン」も4年目に入りました。ここまで続けてこられたのは皆さんのお蔭です。まことに有難うございます。

前回「自民党総裁選、高市早苗さんを支持します」を書きました。高市さんは総裁選に大きな影響を与え、岸田文雄総裁、岸田政権の誕生をもたらしました。総裁選の第1回目の投票で高市さんに投じられた票が自民党における確かな保守層ということになります。概ね三分の一です。もともと自民党は右から左までの政策を揃えていて、実際には「保守」と一括りにはできない政党です。その構造は本質的に変わっていません。

総選挙で自民党が負けなかったのも、外交・安全保障や憲法改正といった問題を除けば、左翼政党が掲げる経済や福祉に関わる政策を、その極端な部分を排した上で包摂していたからだと思います。問題は、国家の根幹に関わる政策論争がなく、国民もまたそれにさしたる関心を持たずに長く過ごしてきたことです。

11月9日、「虎ノ門ニュース」に出演しました。特集テーマは「ベルリンの壁崩壊から32年! 日本はどう変わったか」でした。

https://www.youtube.com/watch?v=XE2riaIQB08

平成元年(1989)11月9日に、米ソ冷戦と東西ドイツ分断の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。

この年は我が国が御代替わりした年であり、国内政治はリクルート事件で混乱し、消費税3%が導入され、日経平均株価が過去最高を記録(3万8915円)するなど、混沌としました。民主派を弾圧した中国の天安門事件もこの年の6月に起きています。

1980年代末から90年代初めを約(つづ)めて云えば、東西冷戦が終結し、自由主義が共産主義に勝利した、米国主導のグローバル化が本格的に始まった時代となりますが、日本にとっては「冷戦下における米国従属」に替わる新たな国家像の模索、「独立主権の回復」を真剣に検討、追求すべき契機だったと私は考えています。

結論的には、以降の日本は政治の混乱が続き、都度都度の状況適応に終始して、政治も、経済も「失われた30年」と見立てるのが平成という時代ではなかったかと思っています。

平成18年(2006)9月、第一次安倍晋三内閣が発足しました。前任の小泉純一郎氏の「聖域なき構造改革」という言葉を、安倍氏が「骨太の方針2007」では削ったことはこれまで何度かお話しましたが、小泉氏の新自由主義的な路線を踏襲するよりも、「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍内閣を、私は当時、戦後日本が初めて持ち得た「真の独立回復」のための「乾坤一擲」の内閣だと思いました。

「真の独立回復」と云うのは、たとえば憲法9条を「平和条項」などと言い換える欺瞞を捨て、それが「主権制限条項」だと認識した上で、改正できる国家となることです。

政権発足直後の9月、北朝鮮が初の核実験を行いました。第一次安倍政権は、朝日新聞からは「強行採決17本」などと強烈に批判されながらも、1年足らずの間に教育基本法の改正や防衛庁の省昇格など幾つもの成果を挙げました。ただ、その意義が必ずしも国民には広く認識されず、平成19年7月の参議院選挙で自民党は大敗し、安倍氏が退いた後は、福田康夫政権、麻生太郎政権と続いて平成21年(2009)9月、鳩山由紀夫首相による民主党政権が誕生しました。

顧みて、第一安倍政権の〝墜落〟は、まさに戦後体制の岩盤が如何に強固であるかを示したものだと思います。国民もまた「戦後レジームからの脱却」の意味を解さず、その点からの安倍支持は薄いものでした。〝悪夢の3年3か月〟を経て、安倍氏が政権を奪回し、8年近くに及ぶ長期政権となりましたが、結局内政外政ともに、国家としての日本は「未完」のままです。

安倍氏は第一次政権の教訓から「匍匐(ほふく)前進」を選択したと思われますが、それは熱の高い保守層の失望を呼び、左翼からの執拗な警戒感も障壁となって、「真の独立回復」をめざす実質的な歩みは停滞したと云わざるを得ません。アベノミクスも、もっと果敢に財務省と闘っていれば、違った状況をもたらしたでしょう。

この10日に召集された特別国会で岸田文雄氏が第101代首相に選出され、公明党との連立による第二次岸田内閣が発足しました。外相に元文科相の林芳正氏が起用され、他の閣僚は再任されました。

自民党は先の総選挙で、安定的な国会運営ができる絶対安定多数(261議席)を確保しました。岸田氏は「多くの選挙区で接戦が相次いだ。連立政権に対する期待と同時に、国民からのご叱声も頂いたと感じている。国民の声にこれまで以上に耳を傾け、国民の信頼と共感を得ながら、丁寧で寛容な政治を進めていく」と述べました。

全体的に穏健な印象を与えますが、岸田氏が平成の失われた30年をどのように受け止め、日本再起のために、令和の目標を如何に立て、国民を鼓舞して進んでゆくか。自民党総裁選に当たって岸田氏は、5年以上幹事長の座にあった二階俊博氏を〝斬り〟にいって、優柔不断と見られていたそれまでの印象を変えたことで局面を有利にしました。安倍氏も「岸田さんは変わった」と。

初閣議で岸田氏は、「新しい資本主義」によって成長を実現し、成果を実感できる経済をつくる。成長戦略、分配戦略については「施策の具体化を急ぐ」と述べました。

岸田氏は、総選挙最中の10月26日に「成長と分配の好循環」を議論する「新しい資本主義実現会議」を設け、今月9日にはデジタル化に関する規制や改革を検討する「デジタル臨時行政調査会」「デジタル田園都市国家構想実現会議」、社会保障全般を検討する「全世代型社会保障構築会議」の三つの会議を発足させました。

会議のメンバーを見ると、たとえば「全世代型社会保障構築会議」に〝緊縮財政派〟の土居丈朗慶応大学経済学部教授が、「デジタル田園都市国家構想実現会議」には竹中平蔵氏が「慶應義塾大学名誉教授」の肩書で入っています。「パソナグループ取締役会長」という立場が利益相反の可能性になることは云うまでもありませんが、安倍、菅両政権に続き、岸田政権でも竹中氏は「有識者」として遇されるわけです。

岸田内閣は、緊縮財政と新自由主義からの脱却に打って一丸となれるのか。各会議のメンバー選定しかり。岸田首相は「このままでは国家財政は破綻する」と選挙前に『文藝春秋』に論文を発表して、事実上自民党の足を引っ張った矢野康治財務次官を更迭する気もないようですから、政策の具体化の段階でどんどん削ぎ落とされる可能性を指摘せざるを得ません。

総裁選で岸田氏が訴えていた目玉経済政策「令和版所得倍増」も、「平均所得や所得総額の単なる倍増を企図したものではない」とする答弁書が決定されました。答弁書は首相の参院本会議の答弁に触れ、「一部ではなく、広く、多くの皆さんの所得を全体として引き上げるという経済政策の基本的な方向性として示されたものだ」とし、具体的な数値目標を盛り込んだ経済計画を策定することは考えていないとも説明しています。

高市早苗政調会長と岸田首相の政策上の違いが、選挙後、色濃く出始めています。自民党政務調査会では高市氏の了承のもと西田昌司参院議員を中心に「矢野論文」を〝検証〟する作業が始まるようですが、これは矢野次官を問題視しない岸田氏への違和感、反感の明らかな現れです。岸田氏が総裁選とその後の衆院選で国民に訴えた方針、政策を曖昧にしていくのならば、来年の参院選の勝利は覚束ないでしょう。

もう一つ触れておきたいのは、岸田首相の国防に関する感度の鈍さです。10月に中露海軍の艦艇計10隻が、事実上日本列島を周回しましたが、それに対する抗議ないし不快感の表明は最低限なされるべきでした。実態を見れば無害通航と云って看過すべきでないのは明らかです。

中国の官製メディア環球時報(電子版)の論評は、中露艦隊の航行が「日本を極めて大きく震撼させた」と存在を誇示しつつ、「こうした震撼は始まりにすぎない」として中露艦隊による「合同巡視航行」の常態化を宣言。今後、中露爆撃機による合同飛行との連携もあり得ると書いています(11月4日Web産経WEST)。

自民党総裁選において岸田氏が勝利できたのはどのような力によるものか。首相となった岸田氏には是非ともそれを思い返してほしい。

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