政府は1日、「平成」に代わる新元号を「令和」と決めました。改元は、天皇陛下が平成28年8月、実質的に譲位の御意向を表明されたことで、憲政史上初めてそれが行われることに伴うものです(譲位は約200年ぶり)。国民生活への影響を最小限に抑えるとの政府方針により、改元1カ月前の発表となりました。
新元号が「令和」に決まった経緯はすでに様々報道されています。日本最古の歌集である『万葉集』を由来とし、歌人の大伴旅人(おおとものたびと)の〈初春の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす〉との一文に拠ります。
確認できる限り、日本の元号の典拠が国書となるのは初めてですが、原文が漢文であることや、『万葉集』も結局は漢籍の影響を受けたもの、漢詩に万葉集の元となる詩がある等々、「国書」からの出典には疑義があるという中国文学者もいます。
安倍首相は新元号について、「日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継ぎ、日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいとの願いを込めた」と説明しました。
新元号発表の首相発言と記者会見の模様は以下のサイトで確認できます。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0401singengou.html
「令和」決定には、安倍首相の思いが色濃く反映されたとの報道もあります(産経新聞【安倍政権考】新元号「令和」首相との出会いは発表5日前の3月27日)
https://www.sankei.com/premium/news/190405/prm1904050008-n1.html
「令」という文字に「いいつけ」「命令」「おきて」といった意味があることから、現在の安倍政権批判に引き付けるかたちで批判する向きもありますね(「よい」「立派な」という意味もあるのですが)。
そもそも、令と和という二字によって元号として表されるのは、大伴旅人という古人(いにしえびと)の思いから連綿と現代に続く、歴史の総体としての日本人のこころでしょう。私は、一字ずつの字解よりも、そこにある情感、感性に居心地のよさを感じ、「感じる」ことの意味を重く受け止めています。
新元号の決定前に意見を聴く有識者懇談会には「令和」と、専門家が事前に考案した「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」の5案を合わせた計六つの原案が提示されました。このうち有識者9人全員が賛成したのが令和だけだったことも明らかになっています。これを想像するに、議論によっての決着ではなく、情感や感性に適ったからでしょう。
その後の全閣僚会議では、河野太郎外相が真っ先に「国書から採るのが正しい」と発言し、複数の閣僚が国書由来であることに賛同したようです。産経新聞によれば、〈最後に首相が「『令和』で決めます」と述べ、令和の新元号が確定した〉(4月3日付)。
「元号は政令で定める」と法律で決まっている以上、そこに政治性のまったき排除ができるはずもなく、皇位継承に向けての法的手続きに関し、現行憲法第4条の「天皇は国政に関する権能を有しない」との定めのなかで、陛下の御希望を汲みつつも、憲政上はあくまで「国民の総意」としての譲位となるよう道筋を模索した政府の苦悩は顧みられていません(このことは10日配信の「ライズ・アップ・ジャパン」で触れています。是非御視聴ください)。
元号そのものを否定、排斥する発言もありました。3月25日配信の「デイリー新潮」によれば、日本共産党の志位和夫委員長は、2月28日の記者会見でこう語っています。
〈「元号は、もともとは中国に由来するもので、『時をも君主が支配する』との考えからきている。日本国憲法の国民主権の原則になじまないと考えている」〉
「デイリー新潮」は、これに対し、〈志位委員長の論理を用いれば、「西暦は、もともとキリスト教に由来するもので、キリストの誕生が起点となっている。日本国憲法の政教分離の精神にはなじまない」ということだって言えてしまう。
国民の反発をおそれてか、中国由来であることを理由としているものの、「天皇制なんかいらない」というのが彼らの本音だと見たほうが自然だろう〉と。
「皇室廃絶」が彼らの本音であることは間違いないのですが、新元号発表後の記者会見では、党として主張し続けている元号法の廃止について「いま廃止すべきだという立場に立っていない。将来、国民の総意によって解決されるべきだ」と述べました。党機関紙『しんぶん赤旗』の西暦・元号の併記も「令和」に関して継続する方針だそうです。共産党が戦前から一貫して「天皇制」に否定的で、「廃絶」をめざす立場であることは承知しておきましょう。
日本という国にとって元号の持つ意味は何か。政治に結びつけて考え過ぎるとその本質を見失うと思います。「天皇」に「民草」が時間を支配されるという二項対立の構造で括ることが妥当かどうか。キリスト教暦であれ、イスラム教暦であれ、そもそも「人類」にとって価値中立的な暦法は存在しません。私たちが自らの生を重ね合わせる時間の流れは何が最もしっくりくるのか。それはやはり、生まれ育った国(共同体)が紡いできた歴史の中にあるでしょう。
以前のメルマガでも取り上げましたが、中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは昭和6(1931)年です。明治34(1901)年生まれの草田男が、実際に明治という時代を生きたのは十年ちょっとですが、大正を経て昭和を迎えた草田男が、しみじみ明治は遠くなったなあと詠じたこの一句は、キリスト教暦では成立しません。「明治」だからこそ、この詠嘆がある…。
いや、それぞれの御代に、人生の喜怒哀楽が重ね合わさって日本人は続いてきた。天皇に直接見(まみ)えたことはなくとも、共に歩んできたという感慨がそこに存在する。可視化や数値化、計量化できない絆の意味が元号にはある。
とまあ、私はこんなふうに思っています。理屈は馴染まない。メディアは新元号が「令和」に決まる過程を詳しく探り当て、報道しましたが、「令和」を考案した万葉集研究の第一人者で、平成25年に文化勲章を受章した中西進・大阪女子大名誉教授はこう語っています。
「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない。」(4月2日時事通信)
最後に岡潔の言葉を――。
〈情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。〉(『春宵十話』「自然に従う」)
物事をなんでも「政治」の眼鏡で見たり、理性主義、合理主義で考えたりするのは人間にとって幸いなのか。
今回も〝結論〟のない話で恐縮です。
【上島嘉郎からのお知らせ】
●拉致問題啓発演劇「めぐみへの誓い―奪還」映画化プロジェクトの御案内
http://megumi-movie.net/index.html
●慰安婦問題、徴用工問題、日韓併合、竹島…日本人としてこれだけは知っておきたい
『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)
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●大東亜戦争は無謀な戦争だったのか。定説や既成概念とは異なる発想、視点から再考する
『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(PHP研究所)
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●日本文化チャンネル桜【Front Japan 桜】に出演しました。
・平成31年3月22日〈忘れた事と忘れさせられた事/ニュージーランド銃乱射事件の複雑な構造〉
https://www.youtube.com/watch?v=gxhAL98xrE0
・3月29日〈文議長不敬発言とドイツ終戦40周年演説の真実/医療の未来を妨げるメディア〉
https://www.youtube.com/watch?v=6FqioasGJvk